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平 詠臣
漆黒の強い眼差しが、寧々を捕らえた。時間が止まったかのように見つめ合った二人だったが、平が先に動き出した。
少し開いていた唇をぎゅっと噛みしめて、寧々だけを見つめて駆け寄った。
周囲の注目を集めていたけれど、寧々には周りを気にする余裕がなかった。何だかほっとして、気が抜けて立っているのがやっとだった。
「申し訳ありません。私がお呼び出したのに……遅刻……どころの時間じゃないですね」
平は、寧々の前で深く頭を下げて謝罪した。
「あの……ご無事で良かったです。お元気そうで……安心しました」
目尻に浮かんだ涙を拭いながら、微笑んだ。その寧々の顔を、頭を上げた平が呆然と見つめている。
「さっき、戦闘機が飛んで行くのが見えて……乗ってらっしゃいました?」
「はい。基地を出た所で呼び戻されて……すいません」
「あの……お腹、すいてませんか?」
無表情に見えた平が目を見開いた顔が何だか楽しくて、寧々がクスクスと笑った。
「お店の方が用意して下さったんです。安心したら、私もお腹が空きました。よろしければ……」
一緒にいかがですか?と紙袋を掲げてみせた。
すると、口角を少しだけ上げて平が微笑み、寧々は気恥ずかしくなった。
「ぜひ」
平が寧々に歩み寄って、紙袋を受け取った。
ホテルの外にあるライトアップされたテラスで、食事をすることになった。
まだ寒くない時期なので、ほかの席にもカップルや友人同士で話をしているグループが多く居た。
「改めまして、平 詠臣(たいら えいしん)です」
向かいの席に座る詠臣が、膝に握りこぶしを置いて頭を下げた。
「義川 寧々(よしかわ ねね)です」
(なんだろう、すごく今更で笑ってしまう)
寧々はお見合いという緊張感もすっかり無くなっていた。
「まさか、今日のこの日に……この時間に、招集されるとは……本当に申し訳ありませんでした」
何度も謝る詠臣に、気にしないで下さい、と寧々が言いながら、食事を勧めた。
「最初は、ちゃんとスーツも着てました……ただ、貴方が帰ってしまうと……」
「基地から走ってこられたのですか?」
「はい。その方が早いですから」
(どうしよう……美怜ちゃん……馬が……お馬を思い出しちゃって……すごく笑っちゃいそうだよ!)
笑いを堪える為に寧々が俯いた。
「寧々さん? 大丈夫ですか?」
「す……すいません。凄いなぁと思って、走っているの見ました。声を掛けるのも間に合いませんでした」
寧々が胸の前で小さく拍手をすると、詠臣が目を泳がせた。
(平さんって……精悍で涼やかな顔している分、すこし冷たそうに見えるけど……そんな事ない)
「重ね重ね、申し訳ありません。今日を逃したら、もうお誘いできないかと……」
(平さんは、そんなに出世したいのかな? お爺様って意外と軍で偉いのかな?)
「あの、その事なんですが……私、軍人さんとの結婚は……」
「……何故か、お伺いしても?」
寧々は気まずくて、段々と楽しかった気持ちもしぼんで、俯いた。
「あの……今日もそうでしたけど、きっと……貴方が海竜と戦いに行くたびに心配で、何も手に着かなくなります。だから……」
「……空軍の殉職者は、陸軍、海軍に比べ、明らかに少ないです。相手は恐竜です、反撃も物理攻撃でミサイルは飛んできません。空軍の負傷者は人的ミスによるものが多く、他の仕事をする一般男性と死亡率に有意差は殆どありません」
淡々と語る詠臣は、見た目に違わぬ堅物だった。
空軍の同じ隊のメンバーにも、冷静沈着で天才的な飛行をする、機械のような男だと思われている。しかし、そんなプライベートなど一度も匂わせなかった詠臣が、今日は帰還するなり機体から飛び降り、驚く上官に「女性を待たせています」と言い残し走り去ったので、部隊は大騒ぎになった。
「そ、そういう問題ではありません! それに……疑問なのですが……怖くないのですか?」
「怖い?」
詠臣が首を傾けた。
「はい、海竜に向かっていくのは……怖く無いのですか?」
「……恐怖はあまり感じません。高揚感や使命感の方が強いです」
姿勢を正して、堂々と座る詠臣はイメージする軍人、そのもので寧々には少し眩しかった。
「そうなんですね……」
(やむにやまれぬ事情で入隊するひともいれば、使命感で戦う人もいるんだ……琳士や匠さんはどんな気持ちだったんだろう……)
「この仕事を辞めることは……難しいです。しかし、私を選んでいただければ、貴方を悲しませたりしません」
「……」
(そんなに……出世が大事なのかな? 偉くなってやりたい事とか目標があるのかな?すごいな……)
寧々は逆に感心していた。自分には大層な夢も目標もない。人並みに過ごしていきたい、いつか琳士と匠の元気そうな姿がみたい。祖父にいつまでも元気でいて欲しい。それくらいだ。大学の語学の勉強は楽しい。四年間、毎朝見ているタイとインドネシアのニュースのお陰で聞き取りは出来るようになった。しかし、将来的にビジョンは何もない。
寧々は、不思議と、社会の役にも立たない自分なんて、この日本の将来を背負って立つ平の馬になったほうが良いのでは……なんて思えてきた。しかし、慌てて頭を振った。
(危なかった……平さんの存在感に飲み込まれそうだった)
「まずは、今日の埋め合わせに、もう一度会っていただけませんか?」
寧々がチラッと詠臣を見上げると、彼の強い視線が真っ直ぐに注がれていた。
「……でも」
答えを先延ばしにして断るのも、それはそれで失礼なのでは、と申し訳なくて縮こまった。
「それで駄目なら諦めます」
(大きい声を出している分けじゃないのに、平さんの声や話し方には、相手を従わせるような強い何かがある……)
「分かりました」
小さく頷くと、詠臣の頬と、シュッとした目元が少しだけ緩んだ。
無表情なのに、優しく見えるその顔に、何故かドキドキする。
「ありがとうございます」
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