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6.春日悠一が気づく視線
[9]
――ったくよぉ、なんでこの街の公立、男子高と女子高しかないんだよ?
ホント詰んでる。
マジ、見回してもヤローしかいねぇぇ――
薄く開いた部室の窓から、そんな遠い声が聞こえて、さらに遠のいていく。
一階のピロティから、校門の方に出ていったんだろう。
それを聴くともなく聴きながら、奏は「2グラ」を走る悠一の形を紙に写し取っていく。
たしかに、最初は女子の姿がないのに戸惑ったけどさ……。
幼稚園、小、中学校では、周りの「世界」に女子の姿があった。それが見慣れた光景だった。
だから、この学校の一面の詰襟姿に、奏も最初のうちは、メチャメチャ違和感を覚えはした。
けどさ?
まあ、しばらくすれば「それ」にも慣れたし――
そしてふと、奏は、今日の悠一が、いつもよりも長時間、練習していることに気づいた。
毎日走っているとは限らなくて。
三十分もしないうちにグラウンドから上がっていくこともある。
奏とて、そういつもいつも悠一の練習を、最初から観察できるワケじゃない。
部室に来るタイミング次第では、ほんの四、五分で、悠一が帰っていくこともあった。
そんなときは、ザッと身体のラインをなぞるだけのデッサンになったけれど、今日は……。
なんとなく気が向いて、悠一の顔を――表情を、描き込んでみる。
いつもは「全体」として認識している。
そんな悠一の身体。その「細部」を、奏は写し取っていった。
「春日悠一」と喋ったことはない――
名前が分かったのは、校門の傍で「おぉぃ、春日ぁ!」とか、友人に呼び止められているところに、偶然行き会ったから。
学年が分かったのは、たまたま廊下で見かけた後姿が、奥の三組の教室へと入っていったから。
――それだけのことだ。
そんな悠一の指先の形に、奏は目を凝らす。
柳炭を紙の上に滑らせ、描き出す線へと視線を移し、そしてまた、窓の外を眺めやった時。
ビクリ、奏の肩が痙攣した。
春日悠一が、校舎を。
美術部室の窓を。
奏を、見上げていた。
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