40.運命・開花

2/3
前へ
/129ページ
次へ
 奏の興奮は止まらない。  そうやって、喋り続ける奏を見下ろしていた悠一は、ふと背後に気配を感じ取った。  「ああ、藤堂のヤツか」と。  「それ」はもう、すぐに分かってしまう。  なんとなくイヤな気分になった。  今はとにかく、奏の話をゆっくり聞いてやりたい。  悠一は、「なあ、とりあえず帰ろうぜ。靴、履き替えてこいよ」と、奏に告げた。  「うん、分かった」と頷き、奏が笑顔で踵を返す。  一組の靴箱は、ちょうど尊が佇む方向にあった。  バカみたいに目立つ「その男(スーパーアルファ)」の姿は、ことさらに見ないようにして、悠一はただ、歩みゆく奏だけを視線で追った。  藤堂と奏の距離が近づいていく。    奏の後姿――  その背中が肩が、突然、ガクンと弾き飛ばされるように大きく跳ねた。  顎をそらすみたいなスローモーションで、ゆっくりと、奏がくずおれる。  床に両膝がついた。  悠一の身体が、反射的に動き出す。  外履きのまま、屋内に駆け上がって廊下を走り出した。  匂いが――  奏の匂いが。  溢れ出す。  腰から腿へと。  みるみるうちに、奏のスラックスに広がる黒いシミ。  大輪の芍薬が一気に開花して。  一瞬にして、幾重もの花びらすべてが、ブワリと乱れて広がって。  もはや「花としての形」すらも成さないほどに。  すべてが崩れゆくようにして。  ――奏がヒートを起こす。    藤堂尊の片眉が、僅かに引き上がった。 「とうどう、くん……」    奏の声が漂う。  あたりはシンと静まり返っていた。ただ、悠一が走る音だけが。  まっすぐに、奏へと走る足音だけが。  響く―― 「藤堂、とうど…うくん、すごい、とうど…」    跪いたまま、尊へと両腕を差し伸べて、壊れたように繰り返す奏。  その背後に悠一がたどり着いた。  床に落ちたコートを拾って、奏の腰に巻きつける。  一気に溢れ出した奏の分泌液は、すでに床までも濡らしていた。  たちこめる、匂い。  オメガのヒート臭。  あまい、におい。 「なんだ、これ……」「なに、なんのニオイだよ……?」 「……え、ひょっとしてさ」 「ヒート?」 「……これって……ヒートかよ」「ヤバくないか」  ざわめきが、波紋のように広がっていく。    早くはやく、はやく――  奏をここから連れ出さないと。  でも、どうやって、どこへ?    分泌液を滴らせ続ける奏を背後から抱きとめながら、悠一は必死に考える。 「なに、スゲェにおい、なんだよこれ」  昇降口の外を通りがかった誰かの、悪気なくガキっぽい問いかけ。 「シッ、オマエ、声デカいよ」と、たしなめる声。 「なんか…小鳥遊とかいうヤツだろ……ほら二年の」 「ああ、アイツ……」「一組のヤツ?」 「ってか、保健医(ほけんのせんせい)とか、呼んだ方がいいんじゃね?」  そんな、さやさやと葉擦れのような囁きが広がって。 「あ、っ…とうど、う、くん、とうどうくん…とう…ど、う」  繰り返し呼びながら、ウットリと尊を見上げる奏。  激しく乱れるその呼吸。  尊はゆっくり後ずさって、奏との距離を取る。  まっすぐは見つめないようにして。けれども注意深く、奏を視野ギリギリに入れながら。  尊がスマートフォンを取り出した。  誰かに何かを短く指示し、通話を切る。  そして、奏を周囲の視線から隠して守ろうと、背後から必死に抱き締める悠一に、尊がごく低く呼びかけた。 「春日、今、車を回したから……」  悠一は、尊の発した言葉の意味を、とっさに捉えそこなう。 「春日」  いま一度、はっきりと呼びかけて、腕を伸ばし、奏のカバンを拾い上げながら、尊がやや鋭い囁きで続けた。 「オレは『ソイツ(オメガ)』に、これ以上は近づけない。お前がそのまま、抱えて連れ出してくれ。今日はちょうど迎えが来ている。正門じゃなく、昇降口を出て左の通用口に車を回させた。いいな、行け」  
/129ページ

最初のコメントを投稿しよう!

163人が本棚に入れています
本棚に追加