40.運命・開花

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[65]  奏を抱え上げ、悠一は校舎を飛び出した。  正面のグラウンドを避け、建物にそって、尊に指示された通用口へと走る。  塀の間のちいさな通用門の前に、黒塗りの車が滑り入った。 「乗ってください」と、運転席の男が言う。  タクシーのように、自動で後部座席のドアが開かれた。  言われるがまま、悠一は車に乗り込む。  すぐ後から、藤堂尊も現れて助手席へと座った。  車はすぐに発進する。  ただただ、必死に奏を抱きすくめる悠一の腕は、激しく震えていた。  それを解くことすらままならぬほどに、硬直して痺れ切っている。  そうやって悠一に抱きとめられながらも、奏は――  ただひたすらに、尊を見上げ、見つめ続けていた。  欲望にとろけきった顔で。    それは、悠一に獣慾を宥められ、快楽を貪っている時にすら――  悠一の雄を胎内に受け入れた時にすら見せたことのない。  ――完全に堕ちきった表情。    腕を肩を震わせながら、 悠一はひたすら、くちびるを噛みしめる。 「とう、どう……くん、すご、い……ね、とうどうくんが、おれの…運命……?」  うわごとめいて、奏が繰り返す。  そんな言葉を完全に無視するかのように、尊は、 「竹内さん、申し訳ないけど、今日の予定、少し遅らせられますか」と、運転席の男に問いかけた。 「とりあえず、このふたりを送ってやらないと」 「大丈夫です、尊さま。スケジュールには余裕を持たせてありますから」  隆道の秘書、竹内が応じた。  今日は運転手はおらず、竹内がそれを務めている。  そんな竹内の言葉に頷きで応じ、尊が続けた。   「……春日、小鳥遊の家まで道案内頼めるか」  ああ、と。  返事をした悠一の声は、どうにもかすれて震えてしまう。  なんなんだよ……藤堂。  オマエ、「アルファ」なんだろ?  この猛烈な匂いが、分からないワケじゃないだろ?  なんでだよ。  なんで、そんなに平然としていられるんだ?  脳内でそんな混乱を渦巻かせる悠一の腕の中、突如、奏が激しく身じろぎをした。 「や、いやっ……はなし、て……とうどう…とうどうくん、おねがい」  そしてものすごい力で、悠一を振りほどくと、助手席のシートへと身を乗り出す。  指を伸ばして尊の頬に触れ、くちびるを寄せた。  シートベルトが邪魔になって上手くよけきれず、尊のくちびるは奏に捉えられてしまう。  顎を傾けて、奏が尊に、ひたすら深くくちづけた。  尊の肩へと手を伸ばし、コートの布地をきつくきつく掴みながら。  ドロリと、また甘い液体が滴る。  奏のスラックスは、もうぐしょ濡れだった。  悠一の制服と上着もまた、奏の分泌液で濡れそぼる。 「…とうどうく、ん したい、したい、とうどうくん、のこども、ほしい……」    尊が奏を振り払う。  眉ひとつ動かさぬままに。  藤堂の……アルファの「なにか」に。  もうどうしようもなく、奏は「おかしく」されてしまってる――  悠一にも、それはありありと分かっていた。  全然違う。違うんだ。  俺を相手に、自慰のかわりのように乱れるのとは。    たぶん「本能」ってヤツで――  これは「奏のせい」じゃない。仕方ないんだ。  むせかえる、激しすぎるオメガ臭。  これまでに奏が発していた「匂い」など、まるで比べ物にならないような。  頬が痺れきって冷たくて。  そんな絶望にも似た切なさが、悠一を打ちのめす。  なのに、情けないほど勃起している自分自身に、悠一は気づいていた。  先走りで下着はグショグショだった。  一体、いま自分は、どうやって射精を堪えているのかすら、もう分からないほどに――  なぜなんだ。  なぜ藤堂は、こんなにも平然と―― 「オマエ……なんで」  悠一の思考が音になる。 「藤堂、オマエなんで、そんな平気なんだ……アルファ、なんだろ? オメガが発情してんのに、なんでそんな」 「慣れている」  尊の答えは、ただただ静かだった。 「『慣れてる』って? なんだよ、それ」  ――意味わかんねぇよ。 「だから、単に『慣れている』だけだ。オメガの発情(ヒート)には。それだけだ」  低く、だがキッパリと、尊は言い切る。  そして「小鳥遊、聞けよ」と続ける。 「気をしっかりもて……春日の前だぞ、大切な友達なんだろう? 春日に……そんな顔をさせるな」  ――ゆ、いち?  奏がまばたく。  「尊に」初めて呼びかけられた喜びを、ほどけるように露わにして。 「うん、ともだち。ゆういちは、おれのだいじな」  そう口にし、頷いて、奏が続ける。 「とうどうくん? とうどうく、んは……おれの、うんめい、だよね…?」  なぜか、悠一の首筋が疼いた。  藤堂尊に咬まれた傷が。 「すごい、とうどうくんは、おれのうんめい。ね、つがいにして、おれのこと、はやく……して、とうどうくんのが……ほしい…」  そう呟いて、奏が吐精した。  悠一の腕の中で。  もう、どうやったらこみ上げる涙をこらえられるのか。  悠一には分からなかった。  奏の家に着く。  竹内が、悠一の腕から奏を引き取ろうとした。  悠一は決然とそれを拒む。  けれども、尊を求めて身じろぐ奏を押さえることは難しくて、家の中、奏をベッドまで運んでやるには、結局、竹内の手を借りるしかなかった。  悠一の脳内ではもう、色々な処理が追いつかない。  だから、その時の光景はとぎれとぎれで――  気づけば藤堂家の車の後部座席に、尊と並んで座っていた。  車はおそらく、悠一の家に向かって走っている。 「春日」  耳もとで尊の声。 「忘れてやれ」    え……。 「アイツは、小鳥遊は普通じゃなかった。それだけのコトだ。初めてのヒートなら薬も、まだうまく合わせられてないんだろう」  ただただ静かに、尊が続ける。 「もう、あんな風にはならない。いくらオメガといっても身体が落ち着いてくれば、ここまで酷い状態を晒すようなことは、もうないはずだ。だから」  ああ、そうだよ。  奏。あんな状態を、みんなに見られちまって――    ヒートが来ることを、なにより怯えてたのに。  自分が変わってしまうことを、なにより怖がっていたのに。  「うんめい」だって? なんなんだよ、運命って。  ちくしょう――ふざけやがって。  なんで奏が。  ――こんな目に。 「違うんだろ、お前の知ってる『小鳥遊奏』は。あんなヤツじゃなかったんだろ? だったら……」  車のタイヤの音。  エンジン。 「忘れてやれ。今日のコトは、もう全部」  ――わす、れる? 「忘れてやってくれ、春日」  頼むから――
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