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[65]
奏を抱え上げ、悠一は校舎を飛び出した。
正面のグラウンドを避け、建物にそって、尊に指示された通用口へと走る。
塀の間のちいさな通用門の前に、黒塗りの車が滑り入った。
「乗ってください」と、運転席の男が言う。
タクシーのように、自動で後部座席のドアが開かれた。
言われるがまま、悠一は車に乗り込む。
すぐ後から、藤堂尊も現れて助手席へと座った。
車はすぐに発進する。
ただただ、必死に奏を抱きすくめる悠一の腕は、激しく震えていた。
それを解くことすらままならぬほどに、硬直して痺れ切っている。
そうやって悠一に抱きとめられながらも、奏は――
ただひたすらに、尊を見上げ、見つめ続けていた。
欲望にとろけきった顔で。
それは、悠一に獣慾を宥められ、快楽を貪っている時にすら――
悠一の雄を胎内に受け入れた時にすら見せたことのない。
――完全に堕ちきった表情。
腕を肩を震わせながら、 悠一はひたすら、くちびるを噛みしめる。
「とう、どう……くん、すご、い……ね、とうどうくんが、おれの…運命……?」
うわごとめいて、奏が繰り返す。
そんな言葉を完全に無視するかのように、尊は、
「竹内さん、申し訳ないけど、今日の予定、少し遅らせられますか」と、運転席の男に問いかけた。
「とりあえず、このふたりを送ってやらないと」
「大丈夫です、尊さま。スケジュールには余裕を持たせてありますから」
隆道の秘書、竹内が応じた。
今日は運転手はおらず、竹内がそれを務めている。
そんな竹内の言葉に頷きで応じ、尊が続けた。
「……春日、小鳥遊の家まで道案内頼めるか」
ああ、と。
返事をした悠一の声は、どうにもかすれて震えてしまう。
なんなんだよ……藤堂。
オマエ、「アルファ」なんだろ?
この猛烈な匂いが、分からないワケじゃないだろ?
なんでだよ。
なんで、そんなに平然としていられるんだ?
脳内でそんな混乱を渦巻かせる悠一の腕の中、突如、奏が激しく身じろぎをした。
「や、いやっ……はなし、て……とうどう…とうどうくん、おねがい」
そしてものすごい力で、悠一を振りほどくと、助手席のシートへと身を乗り出す。
指を伸ばして尊の頬に触れ、くちびるを寄せた。
シートベルトが邪魔になって上手くよけきれず、尊のくちびるは奏に捉えられてしまう。
顎を傾けて、奏が尊に、ひたすら深くくちづけた。
尊の肩へと手を伸ばし、コートの布地をきつくきつく掴みながら。
ドロリと、また甘い液体が滴る。
奏のスラックスは、もうぐしょ濡れだった。
悠一の制服と上着もまた、奏の分泌液で濡れそぼる。
「…とうどうく、ん したい、したい、とうどうくん、のこども、ほしい……」
尊が奏を振り払う。
眉ひとつ動かさぬままに。
藤堂の……アルファの「なにか」に。
もうどうしようもなく、奏は「おかしく」されてしまってる――
悠一にも、それはありありと分かっていた。
全然違う。違うんだ。
俺を相手に、自慰のかわりのように乱れるのとは。
たぶん「本能」ってヤツで――
これは「奏のせい」じゃない。仕方ないんだ。
むせかえる、激しすぎるオメガ臭。
これまでに奏が発していた「匂い」など、まるで比べ物にならないような。
頬が痺れきって冷たくて。
そんな絶望にも似た切なさが、悠一を打ちのめす。
なのに、情けないほど勃起している自分自身に、悠一は気づいていた。
先走りで下着はグショグショだった。
一体、いま自分は、どうやって射精を堪えているのかすら、もう分からないほどに――
なぜなんだ。
なぜ藤堂は、こんなにも平然と――
「オマエ……なんで」
悠一の思考が音になる。
「藤堂、オマエなんで、そんな平気なんだ……アルファ、なんだろ? オメガが発情してんのに、なんでそんな」
「慣れている」
尊の答えは、ただただ静かだった。
「『慣れてる』って? なんだよ、それ」
――意味わかんねぇよ。
「だから、単に『慣れている』だけだ。オメガの発情には。それだけだ」
低く、だがキッパリと、尊は言い切る。
そして「小鳥遊、聞けよ」と続ける。
「気をしっかりもて……春日の前だぞ、大切な友達なんだろう? 春日に……そんな顔をさせるな」
――ゆ、いち?
奏がまばたく。
「尊に」初めて呼びかけられた喜びを、ほどけるように露わにして。
「うん、ともだち。ゆういちは、おれのだいじな」
そう口にし、頷いて、奏が続ける。
「とうどうくん? とうどうく、んは……おれの、うんめい、だよね…?」
なぜか、悠一の首筋が疼いた。
藤堂尊に咬まれた傷が。
「すごい、とうどうくんは、おれのうんめい。ね、つがいにして、おれのこと、はやく……して、とうどうくんのが……ほしい…」
そう呟いて、奏が吐精した。
悠一の腕の中で。
もう、どうやったらこみ上げる涙をこらえられるのか。
悠一には分からなかった。
奏の家に着く。
竹内が、悠一の腕から奏を引き取ろうとした。
悠一は決然とそれを拒む。
けれども、尊を求めて身じろぐ奏を押さえることは難しくて、家の中、奏をベッドまで運んでやるには、結局、竹内の手を借りるしかなかった。
悠一の脳内ではもう、色々な処理が追いつかない。
だから、その時の光景はとぎれとぎれで――
気づけば藤堂家の車の後部座席に、尊と並んで座っていた。
車はおそらく、悠一の家に向かって走っている。
「春日」
耳もとで尊の声。
「忘れてやれ」
え……。
「アイツは、小鳥遊は普通じゃなかった。それだけのコトだ。初めてのヒートなら薬も、まだうまく合わせられてないんだろう」
ただただ静かに、尊が続ける。
「もう、あんな風にはならない。いくらオメガといっても身体が落ち着いてくれば、ここまで酷い状態を晒すようなことは、もうないはずだ。だから」
ああ、そうだよ。
奏。あんな状態を、みんなに見られちまって――
ヒートが来ることを、なにより怯えてたのに。
自分が変わってしまうことを、なにより怖がっていたのに。
「うんめい」だって? なんなんだよ、運命って。
ちくしょう――ふざけやがって。
なんで奏が。
――こんな目に。
「違うんだろ、お前の知ってる『小鳥遊奏』は。あんなヤツじゃなかったんだろ? だったら……」
車のタイヤの音。
エンジン。
「忘れてやれ。今日のコトは、もう全部」
――わす、れる?
「忘れてやってくれ、春日」
頼むから――
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