42.last song

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「元気…だったか」  悠一が、やっと、そう口火を切った。 「うん、まあまあ」  奏がサラリと応じ、 「悠一は? 元気してた?」と、問い直して悠一を見上げる。 「俺は別に、普段通り」 「そっか」と呟くように噛み締めて、奏が前を向いた。    ふたりはまた、黙々と歩き出す。  悠一が、意を決してふたたび口を開いた。 「奏、あのさ、藤堂……とは…」 「ん?」 「藤堂とは、会ったのか?」  ううん、と、奏がかぶりを振る。そして、 「なんで?」と聞き返してきた。 「なんで…って」  悠一の脳裏に、「あの午後の出来事」がフラッシュバックする。  ――とうどうくんは、ぼくのうんめいだよねと。  蕩けきった顔で告げ、悠一の腕の中、射精した奏の姿が、匂いが。 「あ、そっか……あのときのことか」  奏がポケットから手を出して、クシャリと耳たぶを掻く。  手袋のない手首。  コートの袖の隙間から、真っ白い包帯が見えた。  悠一は驚愕の表情を隠せない。  そんな凍りついたような悠一の視線に、奏もすぐ気がついた。 「うん、そう…なんだ。なんかさ、おれ、ちょっと精神がまいっちまって……」  言いながら両手首の包帯を、逆の手で、それぞれにギュッと掴む。 「こんなさ、バカなコトしちゃったから、しばらくの間…入院とかしてて。ごめんな、悠一、なんの連絡もできなくて。心配かけてただろ?」  悠一はただ、ゆっくり首を横に振る。  ――「あのこと」の後。  俺が奏の家に、奏のもとに行っていれば。たとえ――  家族の人に迷惑がられようが、奏に拒絶されようがかまわずに。  そうしていれば、こんな真似をさせるまで、奏を追い詰めずにすんだのか?  そうしていれば、なにかすこしでも、奏の支えになれたのか?  それとも――  あれ以上、俺が「何か」をできたかもなんて、そんなのは。  ――それこそ「思い上がり」なのか。  いずれにせよ、俺は。  あれからずっと――  ただ怖くて、怯んで。立ちすくんでいただけだ。  後悔と自責の念で、悠一は地面に吸い込まれそうな絶望を味わう。  その俯く顔を、奏がそっと覗き込んだ。 「……なあ、悠一。『運命のつがい』とかってさ、聞いたことある?」  突然だった。  悠一は面食らって、ただまばたくしかできない。 「うん、あれってやっぱ、なんか都市伝説みたいなモノらしいけどね。たださ、アルファとオメガで、なんかこう……波長が合いやすいタイプ? みたいなのはあるんだってさ。これは医者(せんせい)が言ってたんだけど」  奏が続ける。 「あ、でも必ずしも『一対一』ってワケでもないみたい。『誰とでも合いやすい』ってひともいるらしいし」  そして、 「……藤堂尊とかはさ、ひょっとしたら『そういうタイプ』なのかもな」と呟いて、少し黙り込む。  そのままふたりは、ゆっくりゆっくり、特に目的もないままに駅への道を進んでいった。 「あのさ」  また、奏が口を開く。 「母さんに……ちょっとだけ、話聞いたんだ。ほら、なんか悠一のことさ。前々から色々気にしてたり。いざ会ったら会ったで、態度がヘンだっただろ? なんかおかしいよなって思っててさ」 「同じ高校だったらしいぜ。奏のお母さん……うちの親父と。そう聞いた。親父から。けどさ、部活だのなんだの、特に接点とかはなかったって。学年も違うし」 「うん、そうみたいだね」  奏が小さく頷く。 「それはそうなんだけどさ。ほら、うちの母さん、オメガだろ」  ポンと「当然」のように言われて、悠一も思わず頷くしかなかった。 「でもさ、父さんはベータなんだ」  悠一はただ黙って、また頷いた。 「母さんは、割と『お嬢様』だったらしくて。たぶん『いいとこ』のアルファに『気に入ってもらう』こととかさ、親に相当、期待されてたみたいなんだよね。なんか古臭い話だよな?」  そう言って、ちょっと足を止め、悠一を見上げる。  そしてまた、ゆっくりと歩き出しながら、  「でもさ……」と続けた。 「母さんも、おれみたいにヒートがうまく来なかったみたいで。それでなんか色々と……あったみたいで」  そこで少しだけ言い淀んでから、奏はこう続ける。 「その時に、悠一のお父さんに助けてもらったことがあるみたい」  そして、 「悠一って、高校生の時のお父さんとよく似てるんだってさ」と、小さく笑った。  透明に、消えてしまいそうな笑顔で――  大き目の車道に行き当たった。  その道を渡って少し進めば、そろそろ駅も近づいてくる。  並んで信号が変わるのを待つ間。  奏が、まっすぐ前を向いたまま、「悠一」と呼びかけた。  悠一が奏を見る。  奏は前を見つめたまま、こう続けた。 「おれ、転校するんだ。東京の寄宿舎だって。父さんが見つけてくれたガッコ。四月から……また二年生に編入なんだけどね」 「かなで」    そうか。奏はこの街から。  そうだよな、そうなるよな―― 「それがさ、その学校って『東京』とかいっても、周りにホントなんもないんだよ、コンビニもない山の中でさ。びっくり、この街より田舎」  ふざけて笑って、奏が悠一を見上げた。  まるで「悠一にも一緒に笑ってほしい」と誘うように。そう願うように。 「あ、そうだ」  奏が小さく両手を打ち合わせる。 「悠一の絵さ、ちゃんとコンクールに出してもらえたって」 「そっか、よかったな」  悠一はそれだけをかろうじて声にする。  よかった、本当に良かった―― 「うん、あの絵はさ……走る悠一の絵は、おれの一番大切な絵だから。誰が何と言おうと」 「オマエの絵は、すごいよ」  悠一が強い口調で言った。 「すごいから、本当に」  そう繰り返して、悠一は続ける。 「好きなんだよな、奏、絵が。絵を描くのが好きなんだよな」  コクリと、力強く奏が頷く。 「奏……なにもできなくてゴメン。俺、しょせん高校生のガキで、なにも」    ――「助けるから」なんて。  「絶対助けるから」なんて、バカなことを。  できもしないコトを、俺は。 「なに言ってんだよ、悠一」  言って奏が、バシンと悠一の背中を叩く。 「助けてくれたじゃないか、おれのコト、あの時だってそうだったろ。いいや、いつだって悠一が……悠一だけが。だからおれ、いつも悠一に甘えてばかりだった」  ――かなで。 「ありがとう、悠一」  ひとつ、噛み締めるように奏が言う。 「あのさ、おれさ、絵を描くよ。これからもずっと。好きだから。描くのが好きだから。きっといい絵、いっぱい描けると思うんだ。そのうちさ、市の美術館が必死になっておれの作品、集め出すって」 「……おう」  悠一が頷く。  わずかにかすかに、微笑んで見せることができた。 「そしたら、悠一。いつでもおれの絵、観られるだろ? あの美術館に来れば、いつでも会える」 「奏」  ――なんなんだよ、それって。  もう、ここへは帰らないつもりなのか?   「オマエ自身」は、ここに。  帰ってくるつもりはないのか?  これからも、ずっと。  そんな苦い問いが、悠一の喉に込み上げて。  けれどもそれは、ついに言葉にはできなかった。  たぶん「あの絵」は、いつか。   奏が俺を描いた絵は、きっといつか、あの美術館の壁に展示されるだろう。  きっと―― 「だからさ、悠一」  信号が変わった。  奏が先に歩き出す。 「走って。悠一も、走り続けてて」  道を渡りながら振り返って、奏は、歩き出そうとする悠一を、そっと押しとどめる。 「部活に入らなくても、大会に出たりしなくても、2グラを使わなくなっても。どこかでずっと、走ってて」 「かなで……っ」 「キレイだから。悠一が走る姿、すごく、キレイだ」  奏が横断歩道を渡り切った。 「だからさ、ケガとかすんなよな」  奏が道の向こうで振り返る。  その髪が、指先が、日差しに透けて―― 「走れよ、悠一!」  最後に言って、奏はクルリと背を向ける。  そしてまっすぐ、前へと駆け出した。
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