8.誰も知らない。

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[12]  ――(たける)。  グラスにスコッチを満たしながら、藤堂隆道が息子に言う。 「アルファの力は権力の為のもの。性の力とて、それと同じ。相手を捻じ伏せ、支配することにこそ用いる。自らが『それ』に振り回されているようでは、藤堂家の家長など、到底務まらない」  いいな、尊――  繰り返し念を押され、尊は呼吸を、そして鼓動すらも自制するかのように表情を消した。  そんな尊へと発情したオメガが這い寄る。 「だいてっ、ぼっちゃん、だいてください。おねがいします……っ」  そして、尊の太腿にしがみつくと、スラックスのファスナーへ指を伸ばした。  触れられて反射的に拾う「雄への刺激」による快感と、激しい嫌悪感とがないまぜになった「何か」が、尊の背筋を電流めいて駆け昇る。    だが勃起を堪えようと奥歯を食いしばることすら、尊には許されない。  睫毛の先ほども表情を変えぬまま、尊は、ただ「ヤメロ」と鋭い声を出す。 「おねがい、なかに、ほしい……っ、ぼっちゃんの、子種……なかに…おく、に」  潤み切った瞳で見上げながら、オメガが尊の上着の袖を掴んだ。  こみ上げてくるものをひたすら飲み下し、尊は、発情しきった男を薄手のジャケットごと脱ぎ捨てて蹴り飛ばす。  そのまま、脱いだ上着でオメガの頬を殴りつけた。  振り子めいて大きく身体をしならせながら、オメガが床に倒れ込む。  涙と唾液が、細い糸を引くように宙にきらめいた。  だが、力なく床に突っ伏したのはほんの一瞬で、オメガはすぐに起き上がり、また尊へと両腕を伸ばす。  むせかえるオメガの発情臭。  ひたすらに甘ったるく、問答無用にアルファの性欲を刺激してくる匂いが蠢く――  尊は手にしたジャケットを高く振り上げ、ふたたびオメガを殴りつけた。  幾度も幾度も。力いっぱい。  それでも男は、ひたすらに尊にしがみついてくる。  下腹部を様々な分泌液で汚しながら、殴りつけてくる尊の上着へ無我夢中に指を伸ばす。  そしてついに、尊の腕からジャケットを奪い取ると、それに顔を擦りつけてうずくまった。 「ぼっちゃん、ぼっちゃん…のにおい、におい」  恍惚の渦に飲まれるがまま、オメガは美しいくちびるを歪ませる。  たしかに、その男の「姿かたち」は美しかった。  なめらかに引き締まった薄い筋肉の身体。  それを少年めいて蒼い肌が覆っている。  左右対称の整った顔立ち。サラサラと艶めく髪。  クッキリとアーモンド形の双眸は、知性すら感じさせるほどだ。    けれど今、その男の瞳は白痴めいた欲望の狂気を映すだけで、だらしなく緩んだ口の端からは、唾液を透明に滴らせている。 「たけるぼっちゃん、の、おようふく…」  呟きながら、オメガは尊のジャケットを、両手でひたすらに愛撫し、鼻先を擦り付けている。  そして、ウロウロとあたりを見回して、手近のクッションや布を寄せ集めた。  そうやって、尊の匂いにあてられるままに、発情オメガは、まるきり「部品の足りない」「巣作り」を始める。  込み上げてくる交尾への欲求に突き上げられ、オメガは腰を揺すり、床に陰部を擦り付ける。  グチョリ、と。粘度の高い水音が響き、性臭がますます強くなった。  じきにオメガは浅く達し、身体をのけぞらせる。  まぶたが痙攣し、それを縁取る長い睫毛もまた細やかに震えた。  おもむろに、隆道が尊の股間へと視線を向ける。  そこには緩い勃起が見て取れた。  無論、尊自身も、自らの「それ」には気づいていた。  だがさすがに、その生理現象までを「抑え込む」ことは難しい。  だから尊は、淡々と「そんな現象などまったく存在していない」とでもいうような態度を取り続けるしかない。  微塵の狼狽も見せぬまま、父の「視線」を「指摘」を、完全に無視し、抹殺しきった態度を―― 「まあ、いいだろう」  隆道が軽く顎先を動かす。  「七分程度の満足」といった表情だった。  そして、「今晩はここまでだ。部屋に戻りなさい」と、尊に命じ、手にしたグラスに口をつける。  あたかも、その部屋には尊もオメガも、もはやどちらも存在しないかのように。   *
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