【チェスター&リカルド】貴方と過ごす、最後の夏

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【チェスター&リカルド】貴方と過ごす、最後の夏

 ファウスト死去から七年が経った。  騎士団は……随分、静かになってしまった。  既にここに、かつてこの組織を率いていた中心五人はいない。ファウスト、クラウルは死去。オスカル、シウスは退団した。  そして、かつて医療という現場で切磋琢磨してきたある意味での戦友エリオットもまた退団している。  それを、寂しいと少し思ってしまう。ただ、彼らも必死に戦ったのだろう。大事な人を失い、その悲しみに押し潰されながら選んだ道を誰が非難できようか。  結局誰もが彼らの選択を尊重し、見送ったのだ。  頃は春から夏へと移り変わろうとしている頃だった。突然ルアテ島の定時巡回をしていた第三の隊員が医務室に駆け込んできたのである。 「せ……先生!」 「どうしたのです?」  息を切らして走ってきた青年は手に一通の手紙と、何やら書類が入っていそうな大きめの封筒を持っていた。  急患かと近づいていったリカルドと他の医療府の面々に、青年は手で制して手紙と封筒を置いた。 「一応港で消毒液ぶっかけてきたんですけど、念のため」 「……それって」 「自分達は定期巡察で八日前に王都を出航、ルアテ島にある最前基地へと向かいました。ですが島から離れた所からでも分かるよう砦と港は閉鎖され、砦の上に旗が掲げられていました」 「旗?」 「……『入港禁止』『緊急』『病』の旗です」 「!」  青年が近づかないように言った時点でなんとなく嫌な予感はしていた。だが、それを聞くと心臓の辺りがヒリつく感じがする。  リカルドは直ぐに彼の首元を見た。死神に愛されたこの目は病ならば既に兆候として黒い輪が薄く見えるはずだ。  だが幸いにも、彼の首にはそのようなものはついていなかった。 「詳しい状況を教えてください」 「はい。港が見える所に来た時に異変に気づき、砦近くの港への入港は断念しました。ですがその場合も島を一周するという約束があったので島を一周したんです。そこで、砦とは山を挟んで反対側の商業区の方で合図があり、入港はしないまま少しだけ寄せて停船しました。するとそこに小舟が近づいて、中には五人程の子供が乗っていました」 「その子達は?」 「乗せようとしたのですが拒み、先に手紙とその書類をと言って渡してきたので、受け取って手紙を確認しました」  リカルドが手紙を開くと、中には島の状況とこの手紙を書いた者の願いが書いてあった。 『島では謎の感染症が流行っている。この商業区にいる者は今のところ症状のない者だが、それも絶対とは言えないだろう。 本土の医者先生、どうかこの島を救って欲しい。 だが、本土にこの病気を持ち込む事は出来ないと判断し、現状を伝えるのみに留める。 ……願わくば、幼い子供達だけでも救ってもらいたく、小舟に乗せる。この子達も感染の様子は見られない。どうか、お願いしたい』  切実なものだ。そしてこれを書いたであろう者もまた、恐怖に怯えていたのだろう。字が僅かに震えていた。 「子供達は」 「マスクを多めにし、手袋をはめた隊員が船の船倉へと案内し、連れてきました。深い所で不憫でしたが、船で病気を出す訳には行かず食べ物もかなり多めに最初に用意し、毛布なども用意してお願いして」 「賢明です。様子の違いなどはありませんか?」 「一日に二度、ドアを開けないまま確認しましたが今のところ変化はないとの事です。先ほど降りる前にも確認しましたが、全員の元気な声が聞けてそれにも変化はありません。ですが心配だったので、船は沖合に留めて自分だけが小舟で入港しました」 「分かりました」  船での衛生、病気の発生リスクと管理を第四師団がするようになり、意識が高まった。おかげでこのような対策ができるようになったのだろう。  問題はどのような病が流行しているか。それについては、おそらくもう一つの封筒の中だろう。それを知らなければ対策もなにもできない。  リカルドはもう一つの封筒を受け取り、中を開ける。それは砦の日報だった。記入者は砦の責任者であるトビーだ。 『六月十日 島に小舟が漂着し、一人の奴隷のような男が乗っていた。おそらくサバルド人だろう。 男は言葉が通じないようだが、酷く弱っていたので教会の奥の隔離病棟へと運んだ』 『六月十一日 男の乗ってきた船を調べたが、妙だ。こんな船で外海を渡れるはずがない。どんなに運良く潮に乗ってもこんな船じゃ転覆する。 それに、この船には水も食料もない。ステンも一緒に調べたが、それらが入っていただろう箱や水筒すらもない。 それに、外海を渡ったにしては綺麗すぎる。 ステンの見解じゃ「誰かが近くまで運び、この島につくような流れに乗せた可能性がある」という事だった。俺もその意見に同意だ。 今はウェールズとの関係も危うい。悪い予感がする』 『六月十二日 男が発熱したとの知らせ。世話をしている隊員によると、何やら肌に黒いような紫色のような斑点があり、皮膚もぶよぶよした感じがあるという。ただの風邪じゃなさそうだ』 『六月十四日 男の熱は下がらず、黒い斑点は広がる一方。酷く痛むようで暴れる。それと、咳をするようになったらしい。気持ち悪い感じがする』 『六月十六日 男の世話をしていた隊員数名に発熱の症状。教会の奥に隔離し、接触するときにはマスクを何重にも重ねる事にした。風邪の薬はきかないようだ』 『六月二十二日 最初の男が死んだ。発熱した隊員達にも黒い斑点が出始め、咳をしている者もいる。 また、彼らと接した教会の人間や、教会に物を卸している島の人にも発熱が見られる。彼らにも申し訳ないが、教会への隔離をお願いした』 『六月三十日 隊員が何人か犠牲になり、島の人間にもちらほら怪しい人がいる。それに、それらの人と接触した人間もいる。 緊急事態と判断し、砦と港の閉鎖を決行。念のため旗を揚げておく。 島は三つに分けた。既に症状が出ている者は教会に。症状は出ていないが接触した者はサファイヤ洞窟に。接触も症状もない者は商業区にとお願いし、商業区の奴にこの日誌を託す。 俺も発熱した。酷い倦怠感と頭痛で体が痛い。 この病の原因は、間違いなく最初の男だ。だが問題は、誰がその後ろにいるかだ。おそらくサバルドじゃない。そこを間違わないでくれ。あの国が今帝国に攻撃する理由がない。 頼む、島を助けて欲しい。リカルド先生。 トビー・ダウエル』  日報は、ここで途切れている。 「リカルド先生」 「……まずは船の子供達です。ペスト用のマスクを付けて数人ついてきてください。ストレプトマイシンも忘れずに」 「!」  出てきた名を聞いた医療府の面々が一瞬で青ざめたのがわかった。  彼らに起こった症状を考えると、おそらく病の正体はペストだ。しかも感染拡大が顕著な肺ペストの可能性が高い。  ペストは鼠などの齧歯類の病気で、ノミを介して人に感染する。この時はまだ猶予がある。感染経路が限られるからだ。体液、排泄物に注意して触れないようにすれば防げる。  だがこれがリンパに乗って多様な臓器……特に肺に感染して毒素を広げると肺ペストとなって飛沫感染を起こす。こうなると感染の拡大は止められない。  今回トビーは最善で最速の方法を取った。患者の隔離、接触者の洗い出し、居住区の棲み分けだ。感染対策として医者がおらず治療法が分からない状態での最良の選択をしたのだ。  彼自身の命を、恐らく諦めたのだろうが……。 「……」  これでまた、チェスターは悲しむだろう。優しいから、かつての仲間が死んでいくのが苦しい。ゼロスの死を知り、彼の葬儀に参列したチェスターはずっと泣きっぱなしだった。 「……行きますよ」  使い古した診察鞄を一つ持って、リカルドは船へと向かった。 ◇◆◇  幸い、船にいた子供達は感染していなかった。死神の目にもそのような兆候は見られず、念のために取った唾液などからも菌は見つからなかった。  それでも念のためにと抗生物質を投与し、数日船内で過ごして貰う事にした。この時船内にいた第三の隊員も同様だ。ただ、船の中は自由にしてもいい事にした。  そして今、リカルドは円卓会議に出席している。エリオットが退いた後、医療府を受け継いだのはリカルドだった。  円卓会議の面々も様変わりしている。騎兵府からはグリフィスが、宰相府からはキアランが、近衛府からはルイーズが、暗府からはネイサンが新たな団長としている。  そして皇帝の席には痩せたカーライルがヴィンセントを伴って座っている。  クラウル死去で一番苦しみ悲しんだのはカーライルだっただろう。  半年程、表に出られないくらいに憔悴した。その間を支えたのはヴィンセントだった。  その影響は今もあり、こうして人前に出るようにはなり国政を担いながらも、その健康状態は良好とは言えないものだった。 「話は聞いている。リカルド、ルアテ島でペストの感染拡大の疑いありというのは、本当か?」  カーライルの重い声に、リカルドは静かに「はい」と伝えた。  場は当然のように息を飲み、しばし言葉がない。だが、真っ先に声を上げたのはキアランだった。 「報告では怪しい船が漂着し、そこに乗っていたサバルド人からの拡大とあるが、その船は妙な事だらけだったとある」 「彼が乗ってきた船で外海は越えられないし、外海を越えたにしては綺麗すぎる。食料を積んでいた形跡もないとの事です」 「そら、間違いなくサバルドじゃないな。あの海は夏で多少落ち着くが嵐がまったくないわけじゃない。何より一ヶ月以上はかかる船旅だ。飲まず食わずじゃ生きては渡れないぞ」 「やはり、ウェールズが怪しいだろう」  キアランは冷静だった。  だがリカルドが今一番考えなければならないのは、あの島に残された人のことだった。  ルアテ島は最初は協力という状態だったが、数年後には双方の利害の一致で帝国に帰順した。あの島にいる人は帝国人だ。  そうじゃなくても困っている隣人を見捨てるのは、帝国じゃない。  リカルドは静かに手を上げた。 「どうした、リカルド」 「島の人々の治療を、させてください」 「!」  静かなその声に、この場にいる多くの者が息を飲んだ。 「致死率の高い感染症で、未だに完全な治療は難しいものだぞ! 万が一王都に入ってきたらここは死の街となる!」 「港と関所に検疫所を設け、入ってくる物品、人の検疫を行ってください。幸い菌は発見されています。それらの菌が見つかった荷は焼却。人は王都には入れず専門の者が隔離して抗生物質を投与させ、菌の死滅を確認後に解放するようにすれば防げます」  確かに、今ある抗生物質でペストに有効とされているのはストレプトマイシンのみ。これだって近年の研究で見つけた結核菌を殺す薬だ。高価だし、一般には出回っていない。  それでも……これは、エリオットの意志でもあるのだ。 「陛下、お願いします。私に行かせてください」 「リカルド」 「……エリオット先生がいたなら、きっと同じ事を主張したと思います。貧富も敵味方もなく苦しむ人を救う。お人好しと言われながらも、だからこそ敵だった者すらこの国を受け入れてきた。その精神を私くらいは、継ぎたいのです」 「……手はあるか」 「今、医療府の者に限りなく迅速に薬を製造するようお願いしています。オリヴァー様にもお願いし、その筋からも薬を集めています。島民はそれほど多くはないでしょう。薬を投与して一定期間島で過ごさせ、検査して大丈夫だった者は本国に。本国到着後も船で検査を行い、一定期間隔離した後であれば間違いないと思います」  だが恐らく、今教会にいる者は助からない。きっと、トビーも……。 「行かせてください。私の生死は問わなくて結構。元より最初は世も捨てて生きるつもりだった者です。誰かを救って散るのならば、私のこの命にも一つ意味を持たせてやれます」  治療薬はあるが、絶対ではない。感染予防もしているが、それも絶対とはいえない。そこまで薬の純度がないのか、効果として足りないのか。  それでも、リカルドは行くつもりでいた。 「……わかった。だが、気をつけてくれ。私はこれ以上、誰も失いたくはないんだ」 「! ありがとうございます」  苦しげなカーライルの弱い笑みを見て、リカルドは丁寧に頭を下げた。  ここにいる面々とこうして顔を合わせるのは、これが最後だった。  その夜、リカルドはいつも以上に静かだった。  医療府ではありったけの薬の製造を急いでいるがそう簡単でもない。  この抗生物質の元は放線菌という菌が作り出している。だが、相手も生き物だ。どれだけ急いでも限界はある。普段それほど需要のあるものではないのが余計にだ。  だができるだけ急ぎたい。今ある分だけを持っていき、でき次第送ってもらうことにした。 「はぁ……」  予定では明後日にはここを出る。行くのはリカルドだけにした。上陸するのもリカルドだけだ。  戻れない事は覚悟している。でも、だからこそ会いたい人がいるのに彼はまだ帰ってこない。もしかしたらこれが、永遠の別れになるかもしれないのに。  もんもんとした気分のまま待っていると、ようやくチェスターが帰ってきた。いつもの明るい笑みがこちらへと向けられる。  だがそれに応えるのが少し癪だ。 「ただいま、リカルド」 「随分遅い帰りですね。どこをほっつき歩いていたのですか?」  こちらは、戻れない不安と恋しい気持ちで一杯になっていたのに。  恨み言を呟くリカルドに、チェスターは相変わらずの屈託ない笑みを浮かべる。 「引き継ぎとか時間かかってさ。あと、説得とか」 「何故?」 「何故って……リカルド、ルアテ島に行くんだろ? だから俺も同行する」 「はぁ!!」  思ってもみない言葉に思わず立ち上がったリカルドの剣幕は、ある意味恐ろしい程の迫力があった。そんな状態でズンズン近づいてくるものだから、チェスターはオロオロしつつも逃げ場のない犬のような状態になってしまった。 「自分が何を言っているのか、分かっているのですか!」 「分かってるけど」 「遊びに行くんじゃないんですよ!」 「そんなつもりはないよ」 「死ぬかもしれない病が蔓延した場所に、治療の為に行くんです! 生きて戻れない可能性だってあるんですよ!」 「だから、だよ」  そう言った時のチェスターの顔は、泣きそうなものだった。  静かに、でも力強く肩を掴まれる。痛くはないけれど、逃げられないくらいの力が入っている。そして、震えていた。 「ねぇ、リカルド。俺に何も言わないで、そんな危ない所に一人でいくつもりだったの?」 「それ……は……」 「……一緒にいたいっていうのは、俺の我が儘かな?」 「それは! あ…………」  彼は生涯のパートナーだ。結婚して、沢山の楽しさと明るさ、幸せを分けてもらった。暗いままの子供時代からは想像できないほど、彼といる世界は明るくキラキラと輝いていた。小さな事が幸せで、心穏やかで。その全てがかけがえのない宝物だった。 「ごめんなさい」 「リカルド」 「……貴方が死ぬのは、見たくなくて。元気で、いてほしくて。これは私の我が儘でもあるんです。一度だけ行き、この目で見て大丈夫と判断した人だけを連れて島を閉鎖してしまえばいい。まだ生きている人、生き残れる可能性のある人を見捨てれば助かります。でもそれは、騎士団の医療府としての魂を失う選択だと思うのです」  かつて西との戦いで、騎士団は味方だけではなく反発した西の民も、傷ついた敵も見捨てなかった。ジェームダルとの戦いにおいても同じだった。お人好しと言われようと、これが帝国騎士団なのだ。  なのに、見捨てるのか? 足掻きもしないで、自らの命を尊んで巻き込まれたのだろう人々を見殺しにするのか? それが、帝国騎士団の今なのか?  それだけは、嫌だったのだ。  チェスターは頷いている。そして今度はふわりと包むようにリカルドを抱きしめた。 「分かるよ」 「チェスター」 「……大事な人達が、いなくなってしまった。でも、その魂まで無くしたらここは……大好きなこの場所は別の場所になる。拙いよ、確かに。頑張っても足りない。改めてあの人達が偉大な化け物だったんだって日々思い知る。でも……だからこそ、そこだけは失いたくない。人々を守るのが、騎士なんだって誇りだけは失いたくないんだ」  苦しそうな声に、リカルドもそっと背中を抱いた。  崩れたのはきっと十年以上も前。ファウストが隊を離れ、ランバートが去った頃。偉大な化け物も人だった、それだけだ。  いつまでもあの人の影を追ってはいけないのだろう。だが、そこから脱却するのも難しい。今は足掻いている中だ。そして、試されているのだ。 「一緒にいたい。手伝うし、覚悟も出来てる」 「……薬は、絶対じゃないんです。この薬を使っても助からない人もいる。そんなものに掛かったら最後、貴方も苦しんで死ぬのですよ」 「リカルドがそんな風に死んだってここで聞かされる覚悟のほうが、出来ないかな」  そう言って少し距離があいて、顔が見える。凄く優しく見守るような目をしたチェスターが、とても愛しそうにキスをした。 「俺には医学の知識はないけれど、手伝いはできる。最後まで側にいたいし、いてほしい。一人じゃないなら大丈夫。一緒に生きて、死ぬなら一緒がいい」  真っ直ぐにそんな事を言われたら、駄目とは言えなかった。  何よりリカルドも安心したのかもしれない。諸共に……生きるも死ぬも側にいて、一緒にいたい。それなら何も恐れる事はないのだから。
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