【チェスター&リカルド】貴方と過ごす、最後の夏

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◇◆◇  リカルドとチェスターを乗せた船はルアテ島の商業区から少し離れた場所に停泊し、小舟に荷物とリカルド、チェスターと操船の隊員一人を乗せて上陸した。その操船の隊員も島に入れるわけにはいかない。足が付く安全な場所までで二人が降り、荷物を運び込んだ後は引き返してもらった。物資と医療品も同じ方法で今後届けて貰う事になっている。  上陸してすぐ、二人はまるでカラスの嘴のようなものがついた不気味なマスクを付けた。この長い嘴部分には抗菌作用のある薬草を詰めている。一応薬も投与してきたができるだけ患者に回したい。それが二人で決めた事だった。  治療は直ぐに始められた。まずは選別から。  無事な隊員にここにいる人を集めてもらい、空き地にテントを張って一人ずつ診察し、検体を取っていった。  だがリカルドの目を持ってすればある程度判断ができる。首に薄くても黒い輪があれば罹患の疑いありだ。 「異常なしの者には手に赤い判を押します。医療府の判です。これを押した者は念のため薬を投与した後二日様子を見て、問題無ければ沖の船で本土に行ってもらいます」 「分かりました」  真っ先に残っていた第三の隊員が検査され、七名中一名が疑いありでその場で薬を投与し、先に用意した商業区にある屋敷の一室へと移ってもらった。他六名は無事だが、薬を投与して違う家へと誘導した。  こうして始まった選別だが、優秀な結果だ。二十名程いた人々のうち罹患者は四名。その誰もがまだ自覚症状がない。この段階なら助けられる。直ぐに治療を開始し、患者同士が接触しないよう食事、排泄、風呂の時間も分けた。体液に触れる事が感染リスクになる。  これが終わると次にサファイア洞窟だ。  ここは元々トンネル掘削時に出たサファイアを保管するために穴が掘られていて、ここが宝石産出地となってからは抗夫の休憩所として使われていた。  現在はそこに患者が一人一部屋にいる。 「医師のリカルドです。これから往診を行います。それぞれの部屋に順次回りますので、そのまま待機していてください」  声をかけ、チェスターと二人で顔を見合わせて頷く。手袋をしっかりとはめて最初の部屋に入った途端、微妙な臭いがした。 「これ……」 「……」  患者は酷い熱に浮かされて呻くばかりだ。年齢としては若い。側に剣があるから、きっと第三の隊員だ。  そしてその腕や足の内側には腫瘍があり、黒い斑点もある。 「薬、打ちますよ」  慎重に場所を選んで持ってきた薬を打つ。これで少しでも回復の兆しがあればいいのだが。 「チェスター、水を飲ませてあげてください。私はその間に服の準備を」 「うん」  大量に持ち込んだ小さな木製の器。これに水を入れて少しずつ飲ませていく。これと今着ている服はそのまま麻袋に入れてきつく口を結んで外に出して燃やす。使い回しは絶対にできない。 「飲ませた」 「服を脱がせて体を拭いて、新しいものに着替えさせます」  シーツ毎地面に下ろして、その間に新しいシーツを敷く。そこに新しい患者用の服を広げておけば準備はできる。慎重にチェスターが男の体を起こすと、弱く黒くなった部分の皮膚が剥がれて血が滲んだ。 「っ!」 「触れないで。呼吸をおちつけて、絶対に素手で触らないで」  傷ついた部分をそっと拭き、抗菌用の軟膏を塗りガーゼを当てる。そうして抱えてベッドに戻し、服を着せた。 「シーツの上に服と器を置いてこの麻袋に」 「うん」  言われたとおりにしたチェスターが慎重に包んで袋に入れて部屋の外に出る。そうすると今度は今着ている防護服を脱ぎ、手袋を触れないように脱いでこれも袋の中に入れた。 「大変だな」 「このくらいの警戒をしなければいけない病なんですよ」  防護服と言っても立派なものじゃない。背開きで引っ張れば簡単に脱げるくらいのもので、材料は捨てるような古着をつぎはぎした物。心置きなく使い捨てにするためだ。雑でもいいから数が欲しかった。  これを残る部屋全部。おそらく、十以上はある。 「やりますよ」 「うん」  新しいものを着て、新しい手袋をはめて次の部屋に。時間はあっという間に過ぎていた。  地上に戻って荷車に回収した麻袋を入れ、そのまま海岸へ。そこに穴を掘ってこれらを入れた後、油をかけて火をつけた。  流石に火には弱い。かなり離れて燃え尽きるのを見ている。当然二人は洞窟を出た段階で上から下まで消毒をかけて衣服も着替え、念のためそれらも焼いた。 「助かるかな、あの人達」 「……分かりません」  言ったけれど、ある程度の予測は出来てしまった。  おそらく八人程度は持ち直すだろう。まだ首の輪が広がっていなかった。だが四人は助からない。死神の印は首を覆いそうな勢いだった。 「……リカルド。夜中に教会、行ってみたいんだけど」  ぽつりと、チェスターは呟いた。理由は分かる、トビーとステンだ。  二人はルアテ島の砦が出来てから二人でこの地の責任者としてついた。恋人同士でもある二人は本土に戻っては睦まじい様子で、チェスター達とも遊んでいたのだ。  そんな彼らの安否だけでも確認したいのだろう。  だがその場所はもう、生きている人がいるかも分からないものだ。そして、感染リスクが高い場所だ。  考え、リカルドは溜息をついた。 「いいですよ」 「え?」 「ただし、絶対に扉を開けないこと。中から声がしたとしても絶対です。もう、助けられません」 「……分かった」  重く苦しく呟いたチェスターの頭を、リカルドはよしよしと撫でた。  火が消えたのを確認し、水を掛けて埋め戻した。  その後で二人は砦のある山の反対側を目指した。  それ程大きな島ではない。サファイヤ洞窟を突っ切るようにして行けば行けるというのでその通りにしたら、砦まで到着できた。  教会はその砦から少し離れた場所にあった。  ペストマスクはつけたまま、手袋も防護服も着たままだ。夜の教会は人の気配もなく、ただシンと静まりかえっている。  静かに教会の正面扉へと近づいたチェスターが、躊躇いながらもドアを叩いた。 「だ……れだ」 「トビー!」 「チェスタ……ゴホ! おま、なんで」 「トビー!」  途端、嗚咽が込み上げ目から涙を流すチェスターが大きくドアを叩いた。だが、開けはしなかった。それを理解したのか、扉の向こうから「くくっ」という小さな声が聞こえた。 「賢くなったよな、忠犬」 「うっせ」 「……ここに、生きてる人間は俺だけだ。それも、もう無理だ。さっきまで、意識なかったんだぜ。これがきっと、最後のチャンスだ」 「……っ」 「……リカルド先生?」 「はい」 「助かる奴、いるか?」 「貴方は最良の策を行いました。商業区の者は間違いなく助けられます。サファイヤ洞窟の者も半数は持ちこたえるでしょう。薬の在庫と供給が追いつくかが問題ですが」 「そ……かぁ」  途端、気が抜けた声がした。安心したんだと分かるものだった。 「ステン、どうした?」  戸惑いながらもチェスターが問う。それに、トビーは僅かに沈黙した後で呟くように言った。 「二日前に、死んだ」 「っ!」 「なに、二日なんて誤差だって。それに、一緒にはいる」 「ごめん!」 「謝るなよ、お前悪くないし。それに……案外話せた。お互い、もう助からないって分かったら遠慮もないしさ。これまでの事とか、思い出とか。抱き合って寝て、互いを勇気づけて、最後まで俺達は一緒だったよ。だからもう、いいんだ」  「もういいんだ」という声は寂しそうだ。それでも、覚悟のできた人間は強いのだろう。トビーは苦しいだろうに、少し大きな声を張った。 「後を頼むぞ、チェスター。この島の人を救ってくれ」 「っ! おう!」 「お前も、生き残れよ」 「頑張る」  それだけで、トビーはもう言葉を返さなかった。  その帰り道、チェスターはずっと泣いていた。目を擦るのは駄目だと言ったから涙は落ちていくばかりだ。 「助け、た、あげぇ」 「うん」 「トビぃ、ステン、だすけだがっだのにぃ」 「分かりますから」 「ごべぇ、ふっ、うぅ」  苦しい声が洞窟にも響く。その中で一つの扉が内側から叩かれた。 「……トビー様、まだ生きてらしたんですか?」  それは、もう助からないだろう隊員の部屋だった。申し訳ないが外から閂をかけている。 「ですが、もう……」 「……はい。先生、俺も多分無理です。死んでいく仲間を見ました。今の俺は、あの時の奴そっくりです。だからこれ以上、治療はいりません」 「……強い痛み止めを出します」 「ありがとうございます」  こういう所は、何も変わらないんだろう。  仲間の為、もう助からないと分かっているならその分の希望を誰かに託す。そこに躊躇いがない。弱い者と民の為に己を犠牲にできる。それが騎士であり、そうして助かった人々の礎になれることが誇りだ。  最初はなんて生き方だと閉口した。でも長い年月の中でリカルドの中にもその精神は生まれてしまった。  今はリカルドも思うのだ。この経験を少しでも後世に残し、感染症対策や予防、検疫などに役立ててもらいたい。その為なら、逃げ出さずにいられると。 ◇◆◇  そこからはひたすら、治療の日々だった。  予防用に薬を打っての治療となり、予想よりも抗生物質の減りが早い。それでも感染が確認出来なかった人々には離島許可証を出せた。  沖に留めておいた船から小舟を出してもらい、最終検査で菌が確認できなかった者には名前と感染なしの診断書を書き添え、それに医療府の印を押して持たせた。これを本土で見せれば上陸できる手はずになっている。  また、自覚症状はないが感染していた者もその後大きな症状が出ないまま完治し、数日後の船で戻った。  だがこの時、抗生物質は本当に少ししか入ってこなかった。 「何故……」 「それが……」  物資を持ってきた隊員が報告書を出す。それには恐れていた事が書かれてあった。  どうやら、宮中の貴族がペストの事を知ってしまったらしい。そこから貴族を中心にパニックが起こり、抗生物質を金に物を言わせて買いあさった。更には高額で売れると知った者が密かに入手し、それを高値で売りつけているとか。  今ここにあるのは騎士団の医療府で製造できた分だけ。到底足りない。  だが、やるしかない。 「引き続き薬の製造をお願いします」 「分かりました」  ここに残っているのは感染がある程度進んだものの、投薬によって持ち直し始めた者ばかり。今薬を止めれば再びペスト菌が猛威を振るう。  そればかりではない。現在ある唯一の特効薬であるストレプトマイシンに対して耐性を持った菌が生まれかねない。きっちりと殺さなければ。  だが、そうなると……。  その夜、リカルドはチェスターに薬が不足するだろう事を伝えた。 「供給が追いつく可能性が低い状況です。ですが、現在治療している八人には薬を投与し続けなければなりません」  だから、リカルドとチェスターの分を症状のある彼らに回したい。  幸い二人は予防として服用している。気をつけていけば大丈夫かもしれない。もしくはこの状況を打破してくれる対策を打ってくれるかもしれない。  それでも、危険な事に変わりはなかった。 「そっか。じゃあ、俺の分はそっちに回して」 「え?」 「え? そういう話じゃないの?」 「そう、ですが……」  あまりにあっさりと承諾されたことに驚いて見ると、チェスターはいつもと変わらない笑みを浮かべていた。 「あの、分かっていますか? 致死率の高い感染症が蔓延している場所で、初歩の防御しかできないんですよ? 死亡の可能性が今までの何倍も上がって」 「分かってるよ?」 「分かっていませんよ!」  分かっているならどうしてそんな暢気な様子なんだ。  思わず声を大きくしたリカルドに、チェスターは小さく笑った。 「順番が来たんだよ」 「え?」 「……俺達も、先輩達にそうして守られてた。危険な任務は先輩が先。俺達を残すのは、若い俺達の方が残された時間が長いだろうから」 「!」  そう、チェスターは寂しげな様子で笑った。 「俺もそろそろ定年の方が近い。ここで生き残っても、残りの時間なんてたかが知れてる。でもここで苦しんでるのは大半がまだ二十代の若い隊員だ。俺の何倍もこの先の時間が長い。そいつらに、託していくんだ」  それでも、チェスターにはチェスターの残りの人生というものがあって、やりたい事もあって、死に方も死に場所もずっとまともだろうに。  近づいて、服の裾を引いた。そしてその胸に顔を埋めたのだ。 「バカですね。老後の願いとかないんですか?」 「リカルドと一緒にいること」 「……バカな忠犬です」 「それが一番なんだもん」 「……私の薬も彼らに回します。それなら、万が一この後の供給が無くてもなんとか足ります」 「駄目だよ!」 「私は貴方よりも年上です! 貴方が残りの時間を彼らに託すなら、私もそうします」  叶えたい未来は二人でいること。それはきっと、生きるも死ぬも。  この日を境に、二人は自分達の薬の投与を止めた。
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