【チェスター&リカルド】貴方と過ごす、最後の夏

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◇◆◇  治療は順調に進んだ。痛みが引き、皮下出血も回復。幸い彼らの体内で菌はまだそれ程多くの毒素を作っていなかったようだ。  いや、そもそも騎士団の人間は感染後の進行が一般人に比べて遅い気がする。体力があり、当然のように免疫力なども高いのだろうか。  だが、恐れていた事は起こったのだった。  夕刻、食事を終えたチェスターがふらついて膝をついた。こんな事は滅多にないから慌てて近づこうとしたが、それを彼は手で制した。 「ごめん……無理っぽい」 「!」 「部屋に入るから、こないで。自分の事は自分でするから」  辛そうなのに、彼は笑ってよろよろしながらも開いている洞窟の部屋に入った。  当然、追おうとした。だがまだ数人、患者が残っている。ここでリカルドが感染したら誰が彼らの治療をするのか。  力を込めた拳が震える。どうにも出来ない現状に涙が出る。薬さえ手に入れば今すぐチェスターに投与する。それで助かるだろう。  でも現状、今いる患者達に使う分しかない。 「っ! ああぁぁぁぁぁ!!」  叫んだって虚しくなる。でも、叫ばずにはいられない。たった数本の薬で彼を助けられるのに、その数本が手に入らない。本土に持ち込まないようにとこんなに厳重に治療をし、検査を重ねている。王都を守るために! なのに、そこにいる人間が薬を買い占め、更には金のために買った物を高額で転売している。そんな者の為にチェスターは殺されるんだ。  憎くて苦しくて、哀しくて虚しくて……どうしようもない憤りが渦巻いている。それでも、進むより他にないんだ。  チェスターに水や食料を受け口から渡すしか出来ない。彼は出てこなかった。  根気強く治療していた若い隊員は見る間に元気になり、検査しても体液から菌がでなくなってきた。  そしてその日、最後の薬を彼らに投与したリカルドは彼らに帰還許可証を発行し、それと同時にここでの治療を記録したものを手渡した。 「え?」 「これを、医療府に届けてください」 「でも、先生は一緒に帰るんじゃ!」 「私は残ります」  チェスターを一人残して帰る事なんてできない。  伝えたら、彼らは目に沢山の涙を浮かべた。 「貴方達が洞窟をでたら、扉を閉めて内側から閂をします。その後はもう、この島に来ないでください。最低でも一年は。できればもっと。幸いこの島では齧歯類など生息できませんから、そういう所から拡大する事はないと思いますが」 「でも!」 「お願いします」  戸惑う彼らに頭を下げて、リカルドはただお願いした。  結局彼らはリカルドの意志を尊重してくれた。ありったけの食料を運び込み、扉を閉じる。そして閂をして、リカルドは真っ直ぐにチェスターのいる部屋へと向かった。  扉を開けると彼はベッドにいた。小さく丸まるようにして、時折呻いて。その肌には紫色の斑点があった。 「チェスター」 「! 駄目、先生」 「先生じゃなく、リカルドです。もう、いいんです。たった今、最後の患者の治療を終えて帰しました。だからもう、やる事は終わったんです」 「どうして、一緒に帰らなかったのっ」 「貴方と添い遂げたいからですよ」  伝えたら、チェスターは驚いたみたいだった。  別に驚かれる事を言ったわけじゃない。夫婦なのだから、最後まで一緒にと願って何が悪いんだ。 「私は貴方の妻ですから」 「……うん」  大きく見開いた目から、ポロポロと涙が落ちていく。チェスターは相変わらず涙脆くて、リカルドはその涙をそっと拭った。 「一緒ですよ」  こうして、二人の僅かな時間が始まった。  食べる事も一緒。そして同じベッドで眠りたいと願って強引にそうした。当然感染はしたが、体は辛くとも不思議と恐怖はなかった。  節々が痛む。頭痛と寒気に体を小さくすると、チェスターが気づいて抱きしめてくれる。 「寒いよね」 「ですね。熱があるんですが」 「それも分かるけれどね」  この状況で、彼は笑った。その首はもう真っ黒で、助からないのだと分かるものなのに。 「なんだか、色んな夢を見るんだ」 「夢?」 「リカルドと出会った時の事とか。あの時の俺、本当に格好悪いな」  覚えている。前線砦で負傷した彼の治療をした。焦りが強く安静にしなければいけないのに動こうとして。 「大変でした」 「ごめん。その後も俺、態度悪かった」 「私にしたら、いつもの事でしたが」 「ごめんね」 「もう、いいですよ」  嫌われるのがいつもだから気にもしていなかった。でもチェスターは律儀に謝ってきて、その後はむしろ人懐っこく側にいるようになった。  そんな彼と関係が変わったのは、とある雪山での事からだった。 「雪山で遭難した時も、二人きりでしたね」 「あの時は必死だった」 「貴方、死にかけていましたし」 「あはは」 「笑い事ではありませんよ」  でも、確かにあの時に救われたんだ。孤独だった心が、諦めていた人生が救われた。死神の目を恐れず受け入れてくれる人。彼がいるから怖くないと思えたからこそ、今があるのだ。 「初デート、楽しかったな」 「手も出してこないヘタレ」 「うっ、だって。俺、経験なんてなかったからさ」 「私だってありませんよ」 「そうだけどさ。痛い思いとか、させたくなかったし」 「私は貴方を魅了することもできないのかと、随分悩んだものです」  なんて恨み節を言うけれど、今ではそれも笑いの種だ。  優しすぎる旦那様はリカルドを気遣ってか手を出さなかった。彼も彼なりに悩んだのだろう。ただ接する態度はいつもの忠犬で、何も考えていないのかとリカルドがヤキモキしたものだ。 「リカルド、エッチだった」 「そうかもしれませんね」  ほんの少し、発熱とは違う意味でチェスターの頬が染まった。なんとなく目も泳いでいる。  焦らされ、待てなくなったリカルドから誘ったのは本当だ。そしてそんなリカルドに男気を見せてくれたチェスターは可愛くも思えた。  互いに求めて、必死で。とても余裕なんてないけれどいつも包まれるような温かさと優しさがあって、求められる嬉しさがあって。だからリカルドはエッチがわりと好きだった。 「バカな事もしましたよね」 「うっ……」 「……叔父さんのお墓に、今年は行けなくなりましたね」 「……うん」  彼の育ての親でもある叔父が亡くなって、チェスターは迷走した。おかれた立場の酷さはあったし、彼の実父の行いは今でも許せてはいない。  だがあの事件があったからこそ、一気に結婚まで進んだような気がする。  あれから、穏やかな時間が過ぎた。  リカルドは馬の練習をして、二人で遠乗りをしにいった。同じ部屋で寝起きして、徐々に落ち着いてくると二人で居られる時間なら何をしててもいいように思えて。  甘やかして、甘やかされて……凄く幸せな時間だった。 「チェスター」 「ん?」 「愛しています」  あと、何回この言葉を伝えられるだろう。残った時間なんて分からない。だから一つでも多く残したい。この心の中にある思いを。 「貴方と出会えて良かった」 「っ! それは俺もだよ!」 「貴方が私を暗闇から出してくれた」 「リカルド」 「過ごした時間の全てが宝物です。この胸にある思いが、私の全部です。一人で生きる未来を選ぼうとしていた私の手を引いて連れ出してくれて、ありがとう」 「っ! 俺だって、リカルドと過ごした時間全部が宝物だよ。思いはいつも溢れそうだよ。大好きだよ、愛してるよ、幸せだよ」 「来世がもしもあるなら、また貴方と巡り会いたい。そうしてまた、恋をするんです。ちょっと元気が有り余っていて、可愛い貴方に」 「約束する。来世でも、その次でも絶対リカルドを探すから」 「えぇ、約束ですよ」  絡めた小指に願いを込めた。抱き合って眠る熱を分け合った。  チェスターが息を引き取ったのは、二日後の事だった。  まだ、どうにか動く体でリカルドはチェスターを抱え、洞窟を抜けて教会へと来た。既に命は尽きると分かっているからこそ恐れもなく扉を開けると、そこは死の臭いがした。 「トビー、ステン」  長椅子に横たわり亡くなったステンの手に触れるようにして、トビーは死んでいた。他の者は見えないから、きっと奥の部屋なのだろう。  リカルドは教会の中から油を持ち出し、それを可能な限りばらまいた。  この病気は熱には弱い。そしてこの教会はあまりに菌が蔓延している。焼いてしまうのが早いだろう。  油を入れた桶を運んで倒す。それだけで染みていく。後はここに火をつければいい。  マッチを擦って、投げ入れた。すると舐めるような炎が油の染みた部分に広がっていく。それを確かめたリカルドはチェスターを横たえた長椅子へと戻り、その手に触れて目を閉じた。 「約束、覚えていてくださいね。私もきっと、探すから」  パチパチと音がして、熱風が肌を舐め始める。酸素が薄い……違う、二酸化炭素が充満しているのだ。  徐々に意識が途切れて、後は眠るように沈んだ。  赤々と燃え上がった教会は消す者もなく、焼き尽くして屋根や壁が崩れ落ち、自然と鎮火するまでずっと燃え続けたのだった。 END
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