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◇◆◇
それから、十年が過ぎた。
気づけば当時の仲間で生きているのはシウスくらいになっていた。
それどころか、下の者も多く失ってしまっている。それを寂しくないと言えば嘘になるけれど、止めようのない事なのも事実だった。
「お父さん、苦しい?」
春の初めに引いた風邪は、老体には過酷だったみたいだ。悪化して、今では息が楽にできない。
いい年頃になったフィニは今、エリオットとオスカルで作ったラーシャ医療学院を卒業して看護師として病院に勤務している。優秀で、天使様と呼ばれているらしい。
退団後、二人は身分に関わらない医師の育成の場を作ろうとした。
当時医者は貴族のもの。医者の免許を習得できる学習環境は一般市民では到底得られないものだった。
だが、そのせいで医者の数が増えず医療費も高額だ。
それを変える為、エリオットと二人で小さな医療学院を作ったのだ。
最初は生徒十名程度で、貴族が半分、一般の子が半分だった。
講師はエリオットの他、ハムレットやオリヴァーが行った。彼らもまた、今の医者不足の原因を根本から変えたいと思っていたのだ。
そのうち騎士団を定年退団した医療府の面々が第二の人生として後進の育成に尽力してくれた事もあり生徒は見る間に増え、医者の資格試験にも沢山の子が合格していった。
今やラーシャ医療学院は医者を目指す様々な者の学び舎となっている。
フィニはそこで看護を学び、無事に資格を得て就労している。
が、オスカルが体調を崩してからはほぼ尽きっきり状態で申し訳ない気持ちだった。
ふと、手に涙が落ちた。見ると痩せ細ったオスカルの手を握って、フィニは泣いていた。
「嫌よ、お父さん。死んじゃ嫌よ」
「フィニ」
重い腕を持ち上げて、彼女の頭を撫でようとする。けれど昔ほど力がはいらなくて、頭まで腕を伸ばす事ができなかった。
「もぉ、すっかりお爺ちゃんだよ」
「お父さん」
「フィニ、泣かないで。僕はね、何も心配していないよ。今は少し苦しいけれど、もっと苦しい事を知っているから平気。死ぬのも怖くないんだ」
だって、その先にはきっと沢山の仲間がいる。そして、エリオットがいるから。
その時、ドタドタっと慌ただしい足音が二つして勢いよくドアが開いた。
そこに立っていた長身の青年はいい年なのにまだ子供の面影がある。短い赤茶色の髪は硬そうで、男らしい顔立ちはもう涙で一杯で、大きくて筋肉ダルマになったのに今は凄く弱々しい。
「オスカー、泣かないんだよ」
「父さん!」
転げるようにきた彼がギュッと手を握ると流石に痛かった。ゴツゴツした手に、剣ダコが出来ている。頑張っている証拠だ。
その後ろからは呆然としたエヴァンがいる。背は高くなったけれど細くて、でもしなやかな感じがする。美人に育ったみたいだ。そういえば、彼氏がいると聞いた。会わせて欲しかったな。
「オスカー父様」
「エヴァン」
「……っ、大丈夫です。オスカーも、フィニも僕がちゃんと見ていますから」
「なっ! エヴァン! 俺はお前の世話になんて」
「オスカーが一番手がかかるだろ。フィニの方がよっぽどしっかりしてる」
「な!」
「もぉ、二人とも喧嘩しないで! お父さんの前なんだから!」
「あはは」
本当に、小さな頃から変わらない。腕っ節は強いけれどちょっとおバカなオスカーと、冷静でお兄ちゃん風を吹かせたいエヴァン。そんな二人の間に挟まれていつもフィニは仲裁していたっけ。
そこにはエリオットがいて、話を聞いていたっけ。五十を過ぎてからの子育ては大変だって、よくこぼしてたな。
「ゴホッ!」
「お父さん!」
「父さん!」
「父様!」
「あ……ははっ。相変わらずみんな呼び方バラバラ」
でも、誰も譲らなかったんだよな。「俺はこの呼び方」って。
不意に、オスカルは手を伸ばして三人の手を取り、ギュッと握る。そして優しい声で言った。
「三人とも、仲良く助け合って生きていくんだよ」
「父様?」
「僕達は誰一人血は繋がっていないけれど、ちゃんと家族だよ。もっと、大事な所で繋がっているんだ」
そう言って、オスカルは自分の胸をトントンと叩く。それは紛れもない、彼の思いだ。
「同じ時を過ごして、同じ食事をして、笑って、泣いて……ちゃんと、家族なんだ」
「っ! 分かってるよ父さん。俺も、エヴァンもフィニも……エリオット父さんも家族だ!」
「僕もそう思っています!」
「私の家族はここにいる皆とエリオットお父さんよ。大丈夫、ちゃんと分かってるから」
「なら、よかった。離ればなれになったら、哀しいから。僕はね、皆の事を愛しているよ。大好きだよ。そんな君たちが泣くのは辛い。平気だよ、幸せだったもの。僕はね、とても幸せ者なんだよ」
大切な人と出会った。その人と、想いを通わせる事ができた。結婚して……哀しい別れもあったけれど、老後の楽しみも得た。死に別れてもこの胸に幸せな時と想いは息づいている。そして何より、家族を得た。
不思議と凪いだ心地で、ふと戸口を見てオスカルは目を丸くした。そこには騎士団時代のエリオットがいて、にっこりと笑ったのだ。
「ははっ、待たせちゃったかな?」
「オスカル父さん?」
「……思い残す事も、多少はあるけれどね。でも心配はしていないんだ。大丈夫って、思っているんだ」
だからね、笑って逝くんだよ。
その日の深夜、オスカル・アベルザードは静かに息を引き取った。享年七十二歳。家族に見守られ、穏やかな様子だった。
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