優しい狐の化け方

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『どうか……左衛門さんを、しあわせにしてあげて。あのひと、さみしがりや、だから』 彼女の言葉は雨では流れ落ちなかった。幸せにするなんて、どうすればいいんだろうか。項垂れている間に、雨は弱まっていた。 「お梅〜、お梅〜」 遠くから人を呼ぶ声が聞こえる。お梅……お梅……彼女の名前だ。顔を上げると傘を被った男性が人を引き連れていた。左右に首を振り、遠くを注意深く眺めて、彼女を探しているのだ。力強く呼びながらも、苦しそうに顔を顰めている。彼女が亡くなってしまった時点で彼の幸せな未来はあるのだろうか。 「お梅〜、お梅〜」 「お梅様〜」 「左衛門様がお待ちですよ〜」 たくさんの人が彼女を呼んでいる。僕は足を一歩踏み出した。 「お兄ちゃん?」 後ろを振り向くと妹が不安そうに立っていた。柔らかい毛から水滴が落ちた。 「……ごめん」 妹から目を逸らし、瞼の裏にお梅を思い浮かべた。ふわりと魂が抜け出したような奇妙な心地がして、瞼を開けると、いつもよりも遠くが見えた。姿が変わると感覚も変わるらしい。2つの足で歩き進めた。 「お兄ちゃん」 僕を呼ぶ声が聞こえ、目が涙で霞む。それでも僕は歩みを止めなかった。僕を救ってくれた彼女の笑顔が忘れられない。 「お兄ちゃん「お梅〜」」 左衛門の呼び声が鳴き声を上回って打ち消した。着物の裾を濡らして、左衛門が走り寄る。その後ろには付き人も走っていた。冷たくなった僕の手を両手で包んだ。指先が左手首の傷に触れる。あの時の襟巻きと同じ香りがする。 「良かった。無事で」 「本当です。祝言ももうすぐだというのに万が一があったらと……」 「こら。でも左衛門様も心配されてたんですよ」 たくさんの人が周りを囲んでいる。里に降りてしまった時のような怒りは感じられず、温かい雰囲気に包まれていた。 「お梅、帰ろう」 「はい」 子狐が背後でクゥーンクゥーンと悲しげに訴えている。僕は彼とで繋いで寄り添い、歩き始めた。そう……僕は左衛門さん達を化かすことにした、お梅として。
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