優しい狐の化け方

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『人間に近づいてはいけないよ』  母からの言葉が頭の中でこだましている。僕は痛む足を速めた。左の前足からは血が流れ、痛みで折れ曲がった状態から動かせない。前足を浮かせて走るものだから、他の足にも痛みが回ってきた。 「おい、そっちにいったぞ」 「野菜を食い散らかせやがって」 「はやく捕まえろ!」  畑には一歩も入っていないのに、人里に迷い込んだ僕はすぐに追い立てられた。彼らの目から逸れるように草むらに逃げ込み、息を潜めた。長い棒を持った人間たちの足音が離れてるのを待った。ガサガサと草を分け入る音が小さくなっていく。そろそろ大丈夫だろうか。ゆっくりと立ちあがろうとしたが、一度休んでしまった足は全然動かない。力が入らないや……。 『人間は怖いのよ。お腹が空いても畑に足を入れてはダメ。万が一、人里に降りる時は人間に化けられるようになってからよ』 『あそこにお芋がたくさんあるよ』と言った妹に、眉を寄せて怒った母が浮かんだ。畑に入ってないのに……どうして。優しく頼り甲斐のある母、可愛い甘えん坊の妹を思い出すと涙がポロリと落ちた。もう僕は家族に会えないかもしれない。お母さん、ごめんね。傷に水滴が触れて、僕は毛並みを逆立たせた。灰色がかった雲から水が落ちてきた。雨だ。冷たい雨が更に力を削ぎ落としていく。傷から流れた血が薄まって広がった。耳は雨に負けて垂れ下がっている。もうダメだと僕は目を閉じた。 カサカサ カサカサ 何かが近づいてくる。 「ねぇ、左衛門さん。あそこに何かいますよ」 「あぁ本当だ。あっ、お梅さん危ないよ」 「平気ですよ。心配症なのね」 ガサリと近くて音が鳴り、ゆっくりと瞼を開ける。藍色の着物を着た女性が僕の顔をのぞいていた。溢れそうなほど大きく、丸く目を開いている。 「あら」 「どうした」 「狐さんが怪我をしているわ」 「あぁさっきの男たちが追いかけていたんだな」 女性が雨に当たらないように傘を傾けて持った男性の袴は雨に濡れていた。黒色の袴かと思ったが、よく見ると鼠色だったようだ。2人とも首元に柔らかな布を巻いている。目を開いていた彼女は僕の頭をそっと撫でた。触れる手は優しくて、じんわりと温かい。 「かわいそうに。少し待っててね」 どこかから黒いものを取り出すと、それを2つに割った。中には白いものがあり、彼女はそっと指にとる。 「これはとっても良い薬なの。あなたの傷もきっとよくなるわ」 震える前足に薬を塗られ、さらりとした肌触りの布で巻かれた。その布には春によく見る淡い色の花が刺繍されていた。 「体温も失われてそうだ」 傘を持っていた男性は首に巻いていた布を僕の体にかけた。不思議な香りが鼻をくすぐった。
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