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談話
それは寺崎が帰宅途中の時のことだった。
夕立の予報があったにも関わらず傘を忘れてしまい、ちょうど駅までの道で降られてしまった。
急いで最寄りのコンビニへと駆け込み、スーツの濡れた箇所をハンカチで拭きながら、スマホの天気予報アプリで調べる。
予報通りならば、このまま雨が止むのを待っていては深夜になってしまう。
無駄な出費になることにため息を1つ吐いてから、店内でビニール傘を買う。
そして店内を後にした直後。
出た道の右側から金髪の見覚えのある男が通りかかった。
「あ、寺崎」
「荒垣か……」
突然話しかけられ、一瞬何事方かと焦ってしまった。
いつぞやの拾われた日と同じ作業着を着た荒垣は、右手にエコバッグを、肩に仕事鞄をかけた左手に傘を持っていた。
両手が塞がったまま、荒垣はこちらに近寄ってきた。
「帰りここ通んの?」
「いや、傘を忘れてコンビニに駆け込んだ」
「傘を忘れた?ばっかでー!」
「お前は俺をなんだと思ってるんだ」
忘れ物をしただけでケタケタと笑うので、つい恨みがましく問いかけた。すると、荒垣はピタリと笑うのをやめて、何故か真剣に考えだした。
「んー……頭がよくて、案外口が悪くて……」
「……?おい?」
何故か荒垣は不自然に言葉を切らしたので、心配になり声をかける。
寺崎としては深く追求する意図はなかったので、変に思い詰められても困るのだ。
「あ、いや、なんでもねー」
「大丈夫か……?」
「大丈夫だって!あ、そうだ。この後暇?」
突然の問いに寺崎は瞬いた。
まさかこの手の誘いを再会してから付き合いの浅い荒垣からされるとは。
確かに後は帰って寝るだけだ。
だが、先日の体調不良を理由に早めに帰宅させてもらっている今、気軽に外食に行く気分にはなれなかった。
「悪い、ちょっと……」
「俺のメシ、不味かった?」
「いや、美味かったけど」
「お、マジ!?なら食ってけよぅ!今夜も作ってやるからさ!」
自分の料理を褒められて舞い上がったのか、荒垣が屈託なく笑う。
内心、コイツもこんな風に笑えるのかと感心していると、バシバシと背中を叩かれる。
……料理をご馳走になるくらいなら、バチは当たらないか。
「……献立は?」
「!!唐揚げ!」
気がつけば、目の前には家庭的な料理が並んでいた。
ミックスサラダを付け合わせとして出されたのは、美味しそうに揚げられた鶏の唐揚げ。
加えて十分に茶碗に盛られた白米とネギの入った味噌汁からは湯気が漂う。
そこに添えられたほうれん草のお浸しが彩りを際立たせた。
一人暮らしの男がこれだけ作れれば十分な献立である。
加えて、グラスの隣には冷えたハイボール缶が鎮座している。
今日は体調不良でもないので、誘惑に負けて寺崎も酒を解禁した。
肉に酒。最高で最悪な組み合わせである。
「……いただきます」
寺崎は観念するように手を合わせて、ハイボールの栓を開け、グラスに注いだ。
試しに唐揚げを一口。
サクサクとしたころもの殻を歯で割ると、口の中にじゅわっと肉汁が広がった。
「……上手い」
「そっか」
ニヘニヘと笑う荒垣は心底嬉しそうだが、笑顔がだらしない。褒められ慣れてないのだろうか。
ここまで料理ができるのであれば、それこそ恋人などがいれば喜ばれるだろうに。
酒を1口飲んでから、寺崎は荒垣に問いかけた。
「荒垣、お前彼女とかいないのか?」
ちょうどビールを飲もうとしていた荒垣が盛大に吹き出した。
「ゴホッ……、な、なん……何が!?何で!?」
「いや、これだけ料理ができればモテるだろ」
「……あー、そういうことね」
口元を部屋の端に置いてあったティッシュを取って拭きながら、荒垣は納得したように答えた。
「泥臭い仕事してっからなー。そもそも出会いがねーのよ」
「今時マッチングアプリとかあるだろ」
「えー?なんか変な女とか来そうでヤじゃん」
「教室で性行為に及ぼうとしてた奴が何言ってんだ」
口に含んだほうれん草を飲み込むタイミングだった荒垣は、今度は咽せた。
慌てたようにビールでほうれん草を流し込んで、真っ赤になった顔を大きな両手で覆った。顔が赤いのは明らかに酒のせいではないだろう。
「なんで覚えてんだよ……」
弱々しい声が手と顔の隙間から漏れる。
あの記憶に対して恥じる感情が荒垣にあったことが、寺崎にとっては少々驚きだった。
荒垣の意外な姿に、寺崎の中の悪戯心がくすぐられた。
「あの非常識さは忘れられるわけないだろ。しかも俺が入ってきて結局失敗した挙句、突っかかってきたもんな」
「あーあー!あの頃は若かったんだよ!今はもうそんな非常識なことしねェって!」
「頼むぞ。知人がわいせつ罪で逮捕とか聞きたくもないからな」
今の荒垣の様子からすればないだろう未来を想像して、ふふふと笑う。こんなしょうもないことで笑ってしまうのは酒が回っている証拠だ。
すると急に荒垣が黙りこくってしまったので、寺崎は唐揚げに齧り付きながら眉を顰める。
「どうした」
「ん?いや、寺崎って笑うとイケメンだよなーって。お前こそモテるだろ」
「まあそれなりには」
「うわー!自慢された!!」
「お前から聞いてきたんだろ」
荒垣相手に謙遜しても仕方がない。
寺崎の周囲による彼の評価は、イケメンで、運動もできて、しかも頭もよくて仕事もできる。
幼い頃から、ある程度のことは平均以上に熟せてしまうタイプの人間だった。
当然やっかむような輩も今までいたが、あらゆる事を総合力と実力でねじ伏せてきた。
そんな実力主義なので、あまり友人と呼べる人間関係は築いていない。こうして誰かと仕事抜きで酒を交えて語らうなど、大学以来だ。
少し前までは恋人と呼べる女性がいたことはあったが、仕事にかまけてばかりで泣かれた挙句フラれてしまった。荒垣に伝えれば笑われるのは目に見えてるので絶対に教えてやらない。
「でもその言い方的に今フリーだろ?新しく作ろうとか思わねーの?」
「今は仕事で忙しい」
「公園で気絶するくらいだもんな」
しみじみと語られるが言い返す言葉もない。
なにせ遭遇したタイミングが8年ぶりの再会だった為、この先関係が続く限り掘り返されそうだ。
「でもお前みたいな真面目な奴は尚更支えてくれるパートナーみたいなのが必要なんじゃ?」
「考え方が古いな。今の時代、支え合うのが基本だろう」
「えー?でも寺崎って相手のこと支えるなんてできんの?仕事一筋みたいな真面目キャラなのに?」
その点を指摘されると言葉に詰まる。
仕事に拘りすぎてフラれたクチだ。返す言葉もない。
「だからって今時彼氏や夫を支えたい、なんて一方的に考えられる女性とそうそう出会えないだろ」
「えぇー?それは偏見だろ。モテるんだったら1人くらいそんだけ一途なヒトに逢えるって!」
冗談めかしながらも荒垣はハッキリと言い切った。
このバカが案外ロマンチストだったとは。
荒垣と交流をするようになってから、意外な一面がボロボロ出てくる。
しかし、コレがなかなか嫌じゃない。寧ろ荒垣の新鮮な姿を面白いとさえ思えてしまう。
8年前とはまた違った関係に不思議と居心地の良さを感じた寺崎は、さらにハイボールを煽った。
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