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 柏原は両腕と頭をテーブルに投げ出した姿でしばらく痙攣(けいれん)していたが、やがて動かなくなった。  満子は椅子を引いて腰をあげると、ゆっくりと柏原に近づいた。  万が一の備えにと、まだ半分残っているワインボトルの首を右手で握る。  前屈みになり、柏原の左の肩甲骨の下に左耳を寄せた。  心臓の音はしない。  ほっと息を吐く。  右手にワインボトルを持ったまま、左手で柏原の肩を掴み揺らしてみる。  柏原が人形のように満子の手の動きに合わせて揺れる。テーブルの脚がぎっぎっと(きし)んだが、柏原は生気なく揺れるだけだった。  柏原の死体を目で捉えたままダイニングの入り口まで移動し、扉を開くと、階下に向かって声を投げた。 「大丈夫よ、死んだみたい」  しばらくすると地下の倉庫に隠れていた浜田が、ダイニングに上がってきた。    およそひと月前。  満子は総務部長の浜田に応接室に呼び出された。  満子が応接室に入ると、応接テーブルの上には、紙の束が左右に並べて置いてあった。  満子はハッとしたが、冷静を装い浜田の対面のソファに腰を下ろした。 「これ、意味わかるよね」  表帳簿と裏帳簿のコピーだ。  およそ五年のあいだ神経をすり減らして管理してきた書類だ。目を閉じてもどこに何が記載してあるか(そらん)じられる。 「はい……」  浜田は三ヶ月ほど前に会社の身売りの話を知ったという。  その時点では課長以下に話すことは厳禁だった。  そのため浜田は、いつ提出を求められても対応できるように、自ら決算書類の整理を始めた。  資産と負債をつぶさに照合するうちに、不審な点に気づいた。  もしや裏帳簿があるんじゃないか。  そう思った浜田は一計を案じた。  会社の複合機は、コピーした原稿のデータがH D D(ハードディスク)に保存される。  通常の設定では一時的な保存で、次のコピーが始まるとH D Dのデータは消去される。  浜田は管理者権限を用いて、H D Dのデータを残す設定に変えた。  月末の決算を終えてからH D Dのデータをパソコンで復元したところ、裏帳簿のデータが残っており、腑に落ちたのだ。 「いつからこんなことを……?」  不正の証拠は揃っている。  もはや言い逃れはできない。  いつかは捕まると、ずっと思っていた。  ようやくやめることができる。  満子はすべてを正直に話した。 「部長……申し訳ございません……」  頭を下げた満子に、浜田が意外な言葉をかけた。 「このまま、隠し通そう」  耳を疑った満子は顔を上げ、驚いた目で浜田の顔をまじまじと見た。
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