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「痛……」  草木が鬱蒼(うっそう)とする斜面を転げ落ちた満子は、太い木の根元にしたたかに身体を打ちつけた。  ズキンと右足に激痛が(はし)る。  右の足首がぐにゃりとあり得ない方向に曲がり、右足の付け根まで痺れている。  バランスを崩すと一気に滑り落ちていきそうな斜面。  後ろ手で大木の樹皮を掴み辺りを見廻す。  近くに熊の気配はないが、数メートル先の視界は真っ暗で何も見えない。  満子は大木にしっかりと背中を預けて、ゆっくりと顔を上げた。  雑草越しのはるか右斜め上に別荘があり、柵が半壊したウッドデッキの裏側が見えた。  デッキの隙間から、室内の灯りが微かにこぼれている。  あそこまで戻ろう。  腰を上げかけたとき、二メートルほど上の雑草の隙間がふわっと明るくなった。  ブブブブ ブブブブ  バイブ音に連動して光が明滅している。  満子が落としたスマホだった。  まずい、止めないと。  匍匐前進(ほふくぜんしん)の姿勢で、満子が斜面を這い上りはじめたとき 「グルル……」  熊の唸り声に動きを止めた。  強烈な獣臭が鼻を突く。  右手で鼻と口を覆い、じっと息を殺す。  前方の草がガサガサと揺れ、スマホの右の暗闇から、大きな黒い影がぬっと現れた。  熊は小枝をぼきぼきと踏み砕きながらスマホの灯りに近づくと、巨大な前脚でぱんと払った。  心臓の鼓動が一気に速まり冷や汗が噴き出る。  両手で口元を覆い隠すも、しゃっくりのような「ひっ」という声が漏れた。  熊はゆっくりと満子の方に鼻先を向けひくひくさせると、がばっと立ち上がり、地鳴りのような咆哮を上げた。  腰が抜けた満子が、糸が切れたように後ろの大木に張り付く。  熊はふたたび吠えると満子めがけて突進し、剛毛に覆われた丸太のような両前脚を天高く振りあげ、大きく目を剥いた満子に振り下ろした。  およそ一時間前——  野生の熊は別荘のウッドデッキの下まで来ていた。  柏原が落としたナッツの匂いに誘われたのだ。  ナッツを平らげた熊が、さらなる餌を求めて周囲を徘徊していたとき、別荘から漏れ出た血の臭いを嗅ぎつけ、侵入してきたのだった。
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