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1-9
早瀬が真剣な顔をしている。俺は戸惑った。自然と後ずさりをすることで頬から手が離れて、ホッとした。
「な……、なに?」
「ソースが付いているよ」
また早瀬の手が俺の頬に触れた。そして、彼の指先で拭われた感触が起きた後、彼が俺の頬についていたソースを指先で取り、その指先を舐めた。これは恋人同士でやることではないだろうか。そう思うと、背中が冷たくなった。俺は男の恋人は欲しくないからだ。
「げええええっ」
「どうしたの?」
俺の様子を見て、早瀬が声を立てて笑い始めた。それには含みがあるように感じたのは、お互いの顔の距離が近づいた気がしたからだ。そして目が反らせないのは、視線を絡め取られたからでもある。
「お、おいーっ」
「どうしたの?」
「ガンを飛ばすなよ!」
「飛ばしていないよ。見つめ合っているだけだ」
「男同士でやめろよ」
「偏見がある?」
「それはないよ。夏樹は同性のパートナーがいるし」
「そうか」
このタイミングで視線を逸らしたから、絡め取られないように俯いた。落ち着かなくて、息が上がりそうだ。喉まで渇いてきて烏龍茶へ口を付けた。
「よかった。偏見がなくて。僕も同性が好きなんだ」
「ごほ……っ」
「ああ、驚かせてごめんね」
「あ……、いえ。こっちこそすみません。いきなりで驚いただけです!」
さすがに失礼だった。慌てて謝ってグラスに口を付けた。ここでペースを取り戻しておこうとすると、また笑い声が聞こえてきた。
「敬語を使ったね。ペナルティーを受けてもらうよ」
「ぶほ……っ。ごほ……っ」
大きくむせ返りながら見上げると、早瀬が意地悪そうな顔で笑っていた。
「ペナルティーって言われても困るよ!」
「敬語を使ったらペナルティーだと告げたよ。その時に『NO』だと言われていない」
「う……っ。あの時は……」
「毎週水曜日に食事に行こう。バイトがなかったはずだよね?」
「そうだけど……」
「じゃあ決まりだ。水曜日に限らず誘うよ。連絡先を交換しよう」
「『NO!』」
「へえ……」
早瀬の両目が輝いた後、顔を近づけてきた。そして、耳の辺りに口元が寄せられて囁かれた。
「『モップ』」
「あ……」
オーナーには、バラされたくない。どう言い返すべきかと押し黙っていると、頭を撫でられた。
「いい子だね。けっこう聞き分けがいい」
「……変質者!」
「そうじゃないことを証明していくよ。僕のことは呼び捨てでいいよ」
「まだそこまで仲良くないから!」
「ああ……、グラスが空だね」
早瀬がスタッフに頼んだのは、温かい珈琲だった。冷たい烏龍茶で体が冷えていて、飲みたいと思っていた。それを飲んでいる間も微笑まれて、居心地の悪い思いをした。
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