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 20時30分。  早瀬に連れられて入った店は、ビルの5階にあった。鹿門という、鉄板焼き店だ。 周りのお客さんは大人ばかりで、大学生グループは見かけない。どうも落ち着かず、ソワソワしている。  テーブルで向かい合わせになり座った。目の前の鉄板では、早瀬が肉を焼いてくれている。焼きあがるまでの間、前菜を食べていると、彼から微笑まれた。 「そんなに緊張しなくてもいいよ」 「こういう事は初めてなので。大人の方とご一緒するのは……」  両親となら、こういう店に来たことがある。遠い親戚や、両親の仕事関係者との食事の場だった。日本料理店の個室に入り、当時小学生の俺は、ジャケットを着ていた。  弁護士であり、法律事務所経営者の父は、いかにも家庭が上手く回っていますというふりをしていた。会社経営者の母も同じだった。両親が別居して10年が経ち、さすがにあの時同席した人たちも、それを知っているだろう。お互いに恋人がいることも。 (あ、いけない……)  考え事をしていたようだ。何か話しかけられていたかも知れない。失礼だった。そう思って、早瀬の方に向くと、笑顔を向けられた。 「すみません。緊張して……」 「これから慣れるよ」 「え?」 「焼けたよ」 「あ、ありがとうございます」  慣れるってなんだろう? 学生同士の集まりでは来られそうにないのに。そう思っていると、目の前からいい匂いが漂ってきて、腹が鳴ってしまった。この時間になると腹が空いている。さっそく食べ始めた。 「いただきます。美味しいなぁ。寮生活になってから、あまりいい物を食べていなかったんだ」 「寮に入っているんだね」 「うん。実家は遠いから。あ、ごめんなさい。敬語を忘れていました」 「敬語は要らないよ。普通に話してほしい」 「早瀬さんは年上だし、お客さんだから出来ません」 「年上の友達にも敬語なの?」 「いえ。友達は別です」 「だったら友達になろう。はい、なったよ。敬語はナシだよ」 「え?な、何でですか?」 「敬語はナシ。次に使ったらペナルティーを与えるよ。罰ゲーム」 「ええ?それは……、あっ」  敬語が出そうになったから、慌てて言葉を飲み込んだ。ここでもペースに乗せられてしまったようだ。俺が何か言い出そうとすると、肉を勧められたり、飲み物のお代わりをオーダーしてくれたりした。  早く帰りたいという気持ちを諦めて、黙々と食べ始めた頃に、普段何をしているのかという話題が持ち出された。 「はあーー」 「どうしたの?」 「やっと普通の話題になったから、ホッとしたんだよ」 「悠人君が敬語を使うのをやめてくれないから、困っていたんだよ。もう大丈夫そうだね」  いつの間にか下の名前で呼ばれていた。こうして食事をしているのだから、ちゃんと自己紹介をしたい。 「えーっと。自己紹介がまだだね。俺からするよ」 「どうぞ」 「久田悠人です。18歳。大学一年生。以上」 「ぷ……っ」  早瀬が吹き出した後、肩まで揺らして笑っている。何だか感じが悪い。 「なんで笑ってるんだよ?」 「簡潔すぎて意外だったんだよ。性格が出ているね。ストレートに物を言うタイプだね」 「うん。よく言われるよ……」 「はっきり言う子は好きだよ」 「ありがとう」  俺はストレートに物は言わないから、全く当てはまらない。早瀬に乗せられてペラペラ喋りそうだから、つい嘘をついてしまった。俺はそそっかしい分だけ失敗が多い。せめて発言だけはと、気をつけている。でも、早瀬を前にすると、自分のペースが保てない。 「次は僕の番だよ。早瀬裕理。30歳の会社員。以上」 「さっきの仕返しなの?自己紹介の意味がないよ。知っているもん」 「悠人君の真似をしただけだよ」 「そう……」    とっさに言い返す言葉が見つからない。 妙に決まりが悪くなり、鉄板の野菜と肉を取り皿に分けた。するとその時だ。黙々と食べようとすると、早瀬から、いきなり頬に触られた。
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