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だが、男を暗殺するのは容易ではなかった。
幼少期から英才教育を叩き込まれ、海外留学した際には武器の扱いを習い、成長と共にトップに立つ男として磨いてきた。
そんな男の唯一の弱点が、『乙葉』という一般女性に好意を持ち、裏社会を知らない彼女を妻にした。
愛する妻に嫌われたくない。という青柳 渚は常に彼女への気遣いを忘れないのだという。
暗殺を目論む組織たちは、裏社会という世界を知らない彼女を狙うことにしたのだった。
武器の扱い方も知らず、暗号化した言葉も理解出来ず、薬の使用方法すら分からない女は、恰好の餌食だった。
だが、青柳組も彼女が狙われることを理解している。
そばに仕えている人間たちは有能なようで、例え誘拐に成功しても直ちに阻止され、根絶やされた。
緩くみせた警備の裏側は、組織の解体を目論んでいるかのようだった。
愛する妻と言いながら、囮に使う悪魔のような男をみな、畏怖の象徴として手を出すことを憚るようになった。
男の瞳の奥に滲んだ悪魔の微笑みは、老若男女問わず籠絡する。妖艶にも似たその笑みを見たピンク髪の男は、肌が粟立つのを感じたものの快楽に似た感情が走った。
「なぎたんのその顔を見れると、こっちはゾクゾクしちゃうわ」
解かれた前髪が碧く透き通る瞳にかかる。
さらりと右に流した前髪が揺れると、整った顔がゆるりと傾く。
「俺は本当に、業火の炎に灼かれて罪を償うべきだね。
乙葉をこんな危険に晒してまで、誘き出させるような真似ばかり。
それを素知らぬ顔して、『怖かったね。まさかこんなことになるなんて。次は必ず守るよ』なんて言葉をかけなきゃならない。俺はとんだ悪党だよ」
ふぅと嫌気の差したため息を漏らした。
もう何度も何度もこんなことをしていて、良心の居場所が無いと言わんばかりに窮屈な思いをしている。
それでも、見せしめのように追い払うことをせねばならない。日本だけではない、国外からの追手もあるのだから。
少しずつだが、頻度が減ってきているのは確かだった。
ピンク髪の男は肩を竦めて眉根を下げた。
「まぁ、普通の旦那様は妻をこんな風に扱うことはないわよね。悪党と罵る・・・いえ、褒め言葉だわ」
「それはドウモありがとう」
ピンク髪の男の言葉に棘があろうとも、跳ね除けるように受け取りかわして、すぐに愛する妻へ連絡した。
電話口の向こうは元気そうな声で、愛する彼女の声が耳朶に響くと、碧い瞳が柔らかくなった。
主人の表情が柔らいだのを確認した男は、パーティー会場にいる仲間へ次の指示を出した。
「会場に紛れた鼠たちを捉えなさい」
豪華絢爛な会場に蔓延るスタッフに紛れた複数人のヒットマンたちを会場にいる来客たちに気付かれないよう引っ張り出し、密かに始末していく。
青柳 渚が求める日常とは遥か遠いものだったが、この世界を受け入れて過ごしていた。
「そろそろ返り血を浴びない日が欲しいね」
ピンク髪の男から手渡された革手の手袋をはめながら、独り言のように呟きベンチを立った。
「もうすぐパパになるのに、血生臭いと嫌われるのは嫌だから、手を下す手間を省きたいなぁ」
主人の言葉にジト目を送る。
「無理でしょ。その異常な“性欲”を抑えるためにこのバイオレンスさを愉んでいるのだから」
赤ワイン色のようなネクタイに手をかけ、歪みを正しながら部下の言葉に口角を緩める。
「別に人殺しを楽しんでいる趣味はないよ」
「どうだかねぇ」
「本当だよ」
愛する妻が妊娠している今、激しく愛すわけにはいかない。
これは言い訳ではない。仕事なのだ。
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