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夫の溺愛振りを深く考えていない妻、乙葉は思った。
“悪阻はいつ終わるのか?”を。
結婚して間も無く新しい命を授かったのだが、悪阻が始まって生命を喜ぶ暇などなかった。
想像とは違う悪阻の辛さに、ただひたすらに吐気と胸焼けの症状と闘っていた。
悪阻の症状は人それぞれ違うものだとプレママ雑誌には書いてあったが、本当にその通りだった。
匂いのキツイニンニクや納豆などの食べ物は駄目だったし、揚げ物の香り、柔軟剤やタバコ、街並み漂う香り、炊き立ての白米の香りなどもだめだった。
何が1番苦しかったかと言うと、自分の唾液が多く分泌されているのか、とめどなく溢れてくる唾液に辟易していた。
唾液を飲み込んでは、生ゲップして吐き気を覚えて、飲み込んで我慢しては、唾液が溢れてくるのを飲み込み、嗚咽して生ゲップの繰り返しだった。
まさか自分の唾液で苦しむ日がくるとは夢にも思わなかったし、それに嗚咽することも想像などしていなかった。
夜中、桶に涎を垂らし続けることに涙目になりながら抱えていたこともあった。
渚はそれを可哀想に思い、朝日が昇るまで背中をさすってくれていた日もあった。
よく考えてみたら関東を、いや、世界をも牛耳る男が自分の唾液に涙する妻をなだめてくれるのだ。
私はそんな人の妻になり、母になったのだが今はただただ、生命を育むという仕事に疲弊していた。
悪阻が落ち着いてきた頃になると、だんだんと赤ちゃんを育てているのだという実感も湧いてきた。
彼に似た冬の月のような碧い瞳なのだろうか。
祝福を受け、目鼻立ちがハッキリした顔立ちだろうか。
自分と似たら、きっと鈍臭いところが似てしまうのだろうか。
そんな不安や期待が混じった気持ちが交差する。
ただ未知なる世界、育児という初めての体験を少しでも体感したくて、安定期に入ったこともあり買い物に出掛けていた。
20歳になったばかりの枻くんと、少し大人びた響くんや拓くんと共にベビー服を見ていた。
元々垢抜けて大人っぽい出立ち、雰囲気の彼は20歳を迎えて更に女の子にモテているようだった。
保護者な立場の私からすると、これからが楽しい時期な分、派手に遊びすぎないようにと心配することしか出来ない。
女の子とデートをすることを楽しんでいる彼だが、痛い目に合わなければいいと保護者目線になってしまう。
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