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そこへ石垣先生が、話に熱中して廊下に立っている教師に気付いていない2人を驚かせないよう、扉をトントンと叩いてから教室の中に入っていった。
「ずいぶん熱心に議論しているね。でももうすぐ日が暮れるよ。続きは今度にして、家に帰りなさい」
窓の外を見ると、校庭には先ほどより生徒の数が減って、秋分の日を目前にして足早になった夕暮れの気配が立ち込めていた。
2人の生徒は「はーい」と返事をして、ランドセルをしょって帰る支度をした。
「UFOは実在するかっていう議論だね」
石垣先生の言葉に、2人は一瞬動作を中断した。
「先生、立ち聞きしてたの?」
影山一志が少々生意気な口ぶりで尋ねた。
「立ち聞きはないだろ。君たちが大きな声で話し合っているから、少しの間聞いていたけどね」
石垣先生は苦笑を浮かべつつ、持ち前の鷹揚な態度で説明した。
「あのね、アポロ宇宙飛行士が見たのは、宇宙ホタルじゃないかっていう説があるんだ」
「宇宙ホタル!?」
2人は互いの意見の相違を忘れて声をそろえた。
「宇宙にホタルがいるんですか」
村越透が驚いたように言った。
彼の脳裏には、暗い宇宙空間を光を明滅させながら飛ぶホタルが、くっきりと描かれていた。
でも、宇宙にホタルがいるなんていう話は聞いたことがないぞと、一志の方は脳裏にホタルを映し出すことなく懐疑的だった。
2人は詳しい説明を求めて、石垣先生を凝視した。
「ホタルっていっても、本物のホタルじゃないよ、もちろん。宇宙にホタルがいたら、幻想的で楽しいけどね。
その実体は、宇宙船から排出される尿なんだ」
ホタルから尿への急転直下に、一志と透は呆然としてがっくり肩を落とした。
石垣先生が幻想的な夢を壊したことを非難するように、透はキッとして言った。
「じゃあ先生は、UFOの存在を信じてないんですか」
「いや、別にそういうわけじゃないよ。UFOの正体について科学的、合理的な解明を試みた上で、それでも謎として残る、UFOの可能性のあるものは信じる」
「うーん、そういう理屈じゃなくて」
透はもどかしそうな素振りをした。
「百聞は一見に如かずっていうでしょ、先生。UFOを目撃したら、理屈なんて吹っ飛びます」
「ほう……」
石垣先生は、興味深げに透の真剣な顔を見やった。その傍らで、UFO否定派の一志が先生が自分の側につくことを期待するようにじっと見守っていた。
「先生は、UFOを見たことがないんですか」
透がズバリと訊いた。
しかし石垣先生は、その質問を「さあ、どうだろうねえ」と曖昧にはぐらかした。
「あっ、引き止めてしまってごめん。本当に、もう帰った方がいいよ。UFOの件はまた今度」
そう言って、2人の生徒を帰宅するよう促した。
一志と透が帰った後、石垣先生はふっと溜息をつくと、黒板を黒板消しできれいにして、右側に書かれた日付を明日のものに書き換えた。
教室を見回した先生が最後にしたことは、花瓶に挿したコスモスの花を眺め、その水を廊下の水道で取り換えたことだった。
ピンクとオレンジのコスモスは、石垣先生がドライブした先の野原で摘んだものだった。
「今日で5日目か。結構もっているな」
コスモスをねぎらうようにそう呟くと、石垣先生は教室を出た。
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