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浴室の扉を開けた途端、湯気が塊になって飛びだしてきた。
「藍!」
藤原誠二は、中にいるはずの婚約者の名前を呼んだ。返事はない。一瞬のためらいの後、浴室に足を踏み込んだ。心臓はこの後の結果を見越したかのように激しく脈打ち、緊急事態であることを告げている。
「藍!」
浴槽の中に、永山藍はいた。服を着たまま目を閉じて、赤い湯に浸かり、ぴくりとも動かない。
「藍! 藍!」
浴槽内に入れられたシャワーヘッドは水面を盛り上げるほどの水流でお湯を流し続けている。浴槽の中のお湯も、溢れて床を流れるお湯も、みんな赤色に染まっている。
「藍! どうした!」
誠二が藍の身体に触れる。誠二が力を入れた分だけ、藍の身体が前後に揺れた。浴槽の中に浸かった藍の左手も一緒に揺れて、濃い赤の帯がゆらゆらと軌跡を描いて水面に広がる。
「藍!」
誠二の叫びは悲鳴に近かった。自らも浴槽に足を踏み込み、藍の両脇に自分の腕を入れて身体を持ち上げた。
いつもの藍の重さとは違った。
藍の洋服からはぼたぼたと水が落ち、赤い水面を揺らした。藍を抱きかかえ、浴槽から出る時、藍の左手の薬指がきらりと光るのが見えた。
誠二が贈った指輪が、その存在を主張していた。
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