0人が本棚に入れています
本棚に追加
将来の夢
将来の夢が僕にはわからなかった。今は魔法で誰だって自分の得意分野を伸ばしたり、不得意分野を補ったりできる。そんな世界で、僕は何になりたいのか。わからなかった。
夏季休暇を利用して姉が帰ってきたのは、そんなときだった。大阪の国際魔法大学に進学してから、実に2年ぶりの再会になる。1週間だけ泊まるらしい。帰って早々におやつを要求するところは変わってないなぁ。リビングでだらける姉の元へ、教科書とノートを持っていく。
「姉さん、勉強を教えて」
「いいよ。どの分野?」
「普通第1種魔法免許の初級。3カ月後に試験があるんだ」
「そうなんだ。裕太はどこまで理解してるの?」
お土産の肉まんをかじりつつ、テキストの内容を思い出す。
「魔力の発見まで」
「小学校で習う内容だね」
「去年まで小学生だったんですけど」
「おぉ、よちよち。仕方ないでちゅね」
ふざけた口調とは裏腹に目つきは優しい。中学生のときに、大人でも苦労する魔法使いの博士課程を突破した人だ。僕なんて赤ちゃんも同然だろう。
姉が腰に下げていたホルダーから、短いタクトを引き抜く。自信に満ちた所作は、ひとかけらの乱れもない。タクトの軌跡が宙に四角を描く。そこに簡易的な黒板が出現した。
「まずはおさらいだよ。地球人は23世紀になるまで魔力を有効活用していなかった。それはなぜでしょう」
「それまでは魔力を認識できていなかったから」
「正解。外宇宙との交流によって『魔力を認識できる魔法』がもたらされたことが魔法史における、最初の一歩だったんだよ」
姉の発言は、白と赤のチョークで黒板に書きつけられていく。
「えっと、魔法を使える人にも個人差が出たんだよね?」
「そうだね。これは魔法使いの優劣を決める指標のひとつになっていった」
「初めは誰も見えてなかったのに、変な話だよね」
「そうだねぇ。近年はある程度緩和できる魔法があるから、興味があるなら調べてみるといいよ」
「わかった」
これは大切なことだ。ノートにメモする間、姉は何も話さなかった。落ち着いて書ける。学校の先生は、全然話すのをやめないからノートを取るのが大変なんだ。僕がペンを置いたタイミングで、姉がタクトを振る。
黒板に『地球における魔力とはなんでしょう?』と書かれた。数字が1から3まで振られる。
「それじゃあ次。はい、書いて」
チョークが僕の手に収まった。これは昨日勉強したことだ。太陽から供給される物で、地球のあらゆる物に宿っていて、巡り巡って僕たちにもある不思議な物。
「おぉ、いいね。ちゃんと覚えてる」
「昨日復習したもん」
「えらい、えらい」
赤いチョークが黒板の中央に花丸を描いた。うれしい。
「ここまで覚えてるなら、初級は楽勝だね」
「志望動機が思いつかないんだ」
「去年まで小学生だったもんねぇ」
「でも姉さんはできた」
「私はね。でも、誰にだって個人差はあるよ」
「……僕は、早く姉さんみたいになりたい」
リビングが静まり返った。緑色のチョークが空中で縦に回転している。
「難しいねぇ」
ぽつりと姉がつぶやく。僕に対してなのか、魔法のことなのか。聞き返すだけの勇気はなかった。そうして姉はそれ以上、魔法について教えてくれなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
姉が大阪に帰って3カ月後。
普通第1種魔法免許の初級試験から1週間後。
僕は実技も筆記も面接もギリギリで合格にすべりこんだ。両親も祖父母も、もちろん姉も喜んでくれた。僕はといえば、ベッドに寝転んで完全に燃え尽きていた。合格祝いに携帯情報端末を買ってもらって、今までより簡単に勉強する環境が整った。次の目標は普通第1種魔法免許の中級だ。
枕元に置いている携帯情報端末には試験日程が表示されているはずだが、頭の中は完全に空っぽだった。ほら去年まで小学生だったし。デフォルトのままにしていた着信音が耳元で鳴り響く。魔法で端末を浮かせて顔の上に持ってくる。テレビ電話だったらしい。画面に白衣を着た姉が映し出された。なんだか新鮮だ。
「姉さんか。どうしたの」
『おっ。さっそく魔法を使ってるねぇ。魔法の使い心地はどうかな?』
「すごく便利だね。勉強してよかった」
『えらい、えらい』
「姉さんってすごいね」
『なぁに、急に』
3カ月前の「難しいねぇ」という言葉がずっとひっかかっていたことを伝える。
「あのままだと僕が落第するかもって、発破をかけてくれたんでしょう?」
『そういうことにしておいて』
「違ったんかい」
『ごめん。勉強を教えるのにも勉強が必要だから、こう……難しいなぁって』
「大阪の肉まんで手を打とう」
『ははーーっ、おおせのままに』
姉さんも大変だったのかな。中学で魔法使いの博士課程を修了した天才だと思ってたけど、違うみたいだ。
「姉さん。僕、将来の夢が決まったよ」
『えっ、本当。教えて』
「教師になる。それで、皆に魔法を教えるんだ」
姉は今まで見たことがないくらいに、優しい顔をした。
『とても難しいだろうけど、裕太なら頑張れるよ』
「うん、頑張る。だから肉まんをよろしく」
『はいはい。じゃあ、また電話するね』
またね、とお互いに手を振って通話は終わった。端末を浮かせたまま試験日程を眺める。
姉さんみたいに。
姉さんはできた。
そうやって自分を追い込んでいたのかもしれない。僕は僕なりの速度で夢に近づこう。まずは半年後の試験に受かるため、もっと勉強しないと。
ベッドから起きて、机へと向かった。
最初のコメントを投稿しよう!