大きな栗の木の下で

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 大きな栗の木の下で。あなたと私。たのしく遊びましょ。  歌声が聞こえる。キッチンの方からだ。荒々しく響く野菜を炒める音にも負けずにリビングまで彼女の歌声は届いてきた。彼女は機嫌が良いときはいつも歌っている。のびのある高音でありながらキンキンと響くことがない。いつまでも聞いていられるような気がする。クラリネットのような丸くて温かい声を聞くのが僕は好きだ。本棚の上の埃をある程度拭き終え、キッチンに目を向けると彼女の姿が見えた。肩は自然に落ちながら、背中はまっすぐ伸びている。ぼんやりと視線を鍋に向け、火加減をたまに調節しながら、漫然と手を動かしている姿はまるで瞑想をしているように見えた。 「どうしたの? じろじろこっちを見て」  彼女が僕の視線に気づき、声をかけてきた。 「ううん、何でもないよ」  ただ、幸せだっただけで。と言いかけてやめた。あまりに不自然だろうと思ったからだ。  彼女から目を離すと窓から西日が差し込んでいるのに気がついたので、立ち上がりカーテンを閉めた。部屋がほんのりと薄暗くなる。まだ日は落ちきってはいなかったので、しばらくはこのままでも暮らせそうではあった。それでもどこか落ち着かないので部屋の明りを付けた。ぱっと部屋の彩度が明るくなると、床に脱ぎっぱなしにしてある衣服が気になった。服を洗濯かごにまとめ、キッチンを通り洗濯機のそばに運んだ。その足でいつものようにお風呂を洗い、お湯を沸かした。 「今日のご飯はなに?」  リビングに戻るついでに聞いてみた。 「内緒」  ふふっと小さく笑いながら彼女は答えた。ちらりと、鍋を見ると牛肉、玉ねぎ、じゃがいも、にんじんが炒められていたのが見えた。 「それじゃ完成を楽しみにしてるよ」  大方、シチューかカレーじゃないかな。と言いかけてやめた。それを口にするとなんだか野暮のように感じたからだ。
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