イクメン

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イクメン

 竹村誠は後頭部と額の薄毛に悩んでいる。いや、後頭部に至ってはサバンナの草原、草食動物に食い荒らされている。そんな微妙な年齢、竹村は定年退職し警察官からへと転職した。人生の再就職、かつてない最高の職場、それが我が家だ。 f8125535-dda2-43ca-aea4-f14e063d9f62 「行って来まーす!」 「行って参ります」  真夏が生後七ヶ月、竹村の定年退職を機に、真昼は竹村事務機器に復職した。授乳も就寝前と夜中、起床後の三回、徐々に回数を減らし断乳を目指していると言う。 「おうおう、行って来い」 「ゔ、ゔ」  娘と娘婿を送り出せば竹村の本領発揮、適当な皿洗い、適当な掃除、洗濯物は洗濯機に任せてある。 「真夏ーーーぅ、ジィジと遊ぼうーーー」  ベビーサークルの中でミッフィーとやらを交えてしばし遊ぶ。ミルクと離乳食は重要なミッション、手抜きは許されない。そして愚図る真夏を布団に寝かし付け、竹村も午睡を堪能する。 「んが、な、なんだ、い、痛いぞ!」  涎まみれの手でベシベシと叩かれて起床。 「ふぁーーーーー、寝た、寝た」  乾いた洗濯物を適当に畳んで座敷に置いておくと、帰宅した隼人が畳み直して所定の場所に片付けてくれるのでこのまま放置。 「さーて、まんま食うか?」 「ゔあ」  そこで衝撃が走った。 「まっ、真夏!」  真夏が立った!ベビーサークルに掴まって立ち上がった。竹村は真昼のLINE通話のボタンを押した。 「ちょっと!仕事中は電話しないでって言ってるでしょ!」 「ふふふふふ」 「なによ、気持ち悪い」 「ふふふふふ」 「用がないなら切るわよ!」 「真夏が立った」 「はぁ!?」 「じゃあな」  そこで通話は切れた。即座に事務所の外線電話が鳴った。事務の美香ちゃんが受話器を取ると気味の悪い笑い声「社長はいるか」と喋ったという。真昼がまさか、と思って社長(叔父)に尋ねると意味が分からない事を呟いたらしい。 「おい、真昼。兄さん大丈夫か」 「なにがよ」 「認知症とかじゃあないよな。真夏を任せて良いのか?」 「ーーーーーか、帰って良い!?」  そしてその頃、隼人の個人用携帯は何度も振動し「非常事態か!」とLINE画面を開くと「わーはははははは、ざまぁ」が連投されていた。 (ざ、ざまぁ、とは?)  真昼が慌てて帰宅すると、鼻の穴を大きくした竹村が鼻息も荒く真夏を抱き上げて待ち構えていた。 「なっ、おっ、お父さん!大丈夫なの!」 「なにがだ」 「あっつ、あたま!」 「悪ぃな、禿げてて」  そこへ定時退勤で赤信号を無視したのではないかという勢いで隼人が駆け込んで来た。額には汗を掻き、それでも真昼が脱ぎ散らかしたパンプスを玄関先に揃えている。 「なにがあったんですか!」 「隼人、お父さん、認知症!認知症!」 「じゃかぁしぃ!ほれ、見てみろ!」 「ゔ、ゔ」  脚はまだ覚束なくガクガクと震えているがベビーサークルにしっかりと掴まり得意げな真夏が、これまた得意げな竹村の横に立っていた。 「ーーーーなんでお父さんがドヤ顔なのよ」 「俺が一番だ」 「は?」 「俺が一番に真夏の記念すべき一歩を見た!悔しいだろう!」  高らかに笑う竹村の姿に飽きれて感動もなにも何処かへと吹き飛んでしまった真昼はその場に座り込み、隼人は真夏の頭を撫でた。 「ーーあーーーーそうですか、はいはい、すごいすごい」 「真夏、良かったですね」 「はははははは!」  この大騒ぎは真夏が一人で歩いた日、初めて喋った日にも繰り返された。しかも初めて口にした言葉が「ジィジ」であり、そのドヤ顔加減は言うまでもなかった。  
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