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「次は君の話をしよう。どうしてドッペルゲンガーに会いたいの?」
儀式のような逢瀬を楽しんだ後の彼女はどこにでも普通の女の子のようだった。
俺は夜空を見上げた。月光に隠された星が微かに瞬いている。
「ゴッホの青を描きたくて気を狂わせたいから」
「へぇ、君は青に恋をしているんだね」
「ゴッホの青に、だけどね。ドッペルゲンガーに会えれば気が狂って描けると思ったから」
「『星月夜』だね。ゴッホが精神病棟で治療中に描いた絵だから気が狂えば同じものが描けると」
「死に際にあんなのが描けたらいいなって俺の妄想と願望だよ」
「悪くないね。君の気を狂わせるのが月じゃないのが残念だけど。ところで、ドッペルゲンガーも月に狂わされたりするのかな」
黒猫のような目が再び三日月に歪み、俺を見る。その瞳に俺は匿名の戦慄を覚えた。
「……どうだろうね」
「あり得ない話じゃないと思うよ。自我が芽生えて話しかけてきたり、絵を描いたり……人を殺したり、自分を殺しにきたり。ふふっ、」
彼女は微笑み、また上機嫌に月を愛でる。夜空は群青と瑠璃が渦巻くように歪み、金黄の月光が不安定に星を震わせているようだった。
「君の名前は?」
「ウタガワアヤメ」
月を愛し、月に狂わされた女の子に俺はもうなにも聞けなくなった。別れも告げずに階段を降りる。門扉を閉めたほうがいいだろうと思ったが、鍵が壊れていて閉まらなかった。
夜風が通り抜けると俺の月影が踊るように靡いた。
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