地下書庫

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地下書庫

 図書館の地下書庫の一番奥。三列ある移動書架の入り口から一番遠い列。親子文庫用の児童書が並んでいる棚の突き当りのコンクリート打ちっぱなしの壁。  そこに扉があった。  元々、閉架書庫には最低限の明かりしかない。安っぽいむき出しの蛍光灯が高い天井についているだけだから、地上の開架部分と比べるとかなり暗い。さらに経費節減で、書架二列分を上がり一列で賄うものだから、光源がズレて絶妙に暗いのだ。  だからといって、司書に文句を言うものはいない。とりあえず、本の内容が分かる程度に明るければ、仕事はできるからだ。  暗いな。  と、思ってはいる。が、司書たちは、もちろん、菫も、直訴するような気はさらさらなかった。  いつも通り、閉架書庫への返本当番をこなすために、菫は地下に降りた。ブックトラックいっぱいの返本は少し急がないと、時間内に終わりそうにない。  だから、いつもならブックトラックは三列の棚の外側通路に置いているのだが、今日はそれぞれの移動書架の入口まで持ってきていた。  菫はまず、児童書の返本から始める。通常の児童書は入り口から一番近い場所にあるから、入口から徐々に奥へと返していくという形になる。  書架がパンパンだったり、一番高い棚の返本が続いたり、途中で利用者さんのご所望の本を探したり、場所が間違っている本を正確な位置にもどしたり。と、業務が増えるばかりで、返本はなかなか捗らなかった。  時計の針はもうすぐ17時。早番の菫はもう業務終了時刻だ。  ブックトラックの上にはまだ数冊の本。いつもなら、このくらいはサービス残業して返していく(と、言っても10分もかからないが)のだが、今日はできることなら、17時きっかりに上がりたい。 「明日の人に頼むか……」  声に出して呟く。呟きはただ、冷え冷えとした空気を振動させて、波紋が小さくなっていくように消えていった。もちろん、それが誰かの鼓膜を揺らすなどとは思っていない。ここには他に誰もいないからだ。  だから、誰も『それでいいよ』と言ってくれるものなどいない。  さわさわ。  いないはず。なのだが、菫の耳には何かのざわめきが届いた。  それは、音ではない。と、菫は思う。  多分、大雑把にいうなら、気配。何が起した。空気の振動ではなく、存在感しか存在しないものの揺らぎのようなものだった。 「あーやっぱ帰ろ」  こういうとき、首を突っ込むと、ろくな目に会わないのは経験上知っている。  だから、気付かなかったことにしよう。と、菫は決めた。  そうと決まれば、早く退散しよう。と、そそくさとブックトラックの元に向かう。  そのときだった。  ばささ。  と、乾いた音が響く。聞き慣れた音だ。本が床に落ちる音。 「マジか……」  音が聞こえてきたのは、書庫の奥の奥だった。  これはかなりあからさまだと、菫は思う。 「本はやめろよな」  ぼそり。と、呟く。確かに、本が落ちたと分かっていれば見に行かないわけにはいかない。移動書架に挟まったり、踏まれたりすると本がダメになるだけでなく、下手をすると電動書架が死ぬことになりかねない。  もし、万が一。仮にこれが偶然ではなくて、目に見えないスピリチュアルなアレがなんやかやで物理的な力になって、物質界に作用したりしていたと仮定する。けれど、たとえその過程がどうであれ、本が落ちたのは多分本当で、落ちているなら対処しないわけにはいかない。まあ、とにかく、あくまて『仮定』だと、自分に言い聞かせる。
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