※由比視点

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「明日香ちゃんと会ったの?」  礼嗣は不愉快さを露わにした。 「それ誰」  礼嗣はいぶかしむ。明日香とは顔見知りなはずだ。由比の地味な顔の特徴を忘れないくせに、それ以外は興味ないところが礼嗣らしい。  明日香の特長を説明すると、礼嗣は納得したように頷いた。 「まあ、会った」  この反応も毎度のことなので、それだけかよ、とツッコミを入れるのも飽きていた。 「そうなんだ」  何を聞かれたの、と聞きたく言葉を探していたら、礼嗣のお気に入りTシャツに汚れを見つけた。 「それ、汚れがついてる、早く染みを取らないと、ほら、着替えて」  むすっとした礼嗣の服を脱がし、洗面台に水をためた。 「そのままお風呂に入りなよ」 「由比も」  上半身裸の礼嗣に腕を取られた。彼の手の熱さに、このまま浴室になだれ込んだらどうなるか想像出来た。夜遅くまで抱かれるのだろ。礼嗣の飲み会の夜は決まってこうだ。 「うん」  礼嗣が安堵したように笑う。由比が従順にすればいつだって優しくしてくれる。それでも今夜だけは、その取り繕った笑顔が不気味に見えた。  彼から甘ったるい香水の香りがした。いやでも礼嗣に言い寄る誰かを思い起こしてしまう。きっと自分よりもかわいくて、きれいなのだろう。 「由比、服を脱いで」  礼嗣が脱ぎ終わると、由比もと催促される。 「う、うん」  平静を装って裸になったら、礼嗣がジロジロと足先から脇の下まで見てくる。 「な、なに?」 「本当に友達と会っていたの、ファミレスじゃなくてラブホテルじゃないの」  礼嗣の言葉が理解できない。礼嗣が嫉妬するのは日常茶飯事だ。それでも言葉が過ぎる。 「同じサークルの友達だよ、ファミレスでハンバーグ食べて、パフェ食べて、」  最後まで言い切る前に、電気の付いた風呂に押し込まれた。シャワーを出した礼嗣は、由比に湯を浴びせてきた。 「なんで家にいなかったんだ、時間を返して、俺の知らない由比の時間を返して」  あまりな言い草に耳を疑った。どの口が言う。礼嗣だって今までどこで誰と会っていたのだ。そんなに身体に染みつくくらい甘い香りをさせて、自分だけ責められるのは筋が違う。 「勝手にしろ」  肌に水滴が残っていても浴室を出て、寝室に向かった。濡れた裸足で廊下を歩く。 「由比っ、ごめん、ごめんなさい」  追いかけてきた礼嗣に腰を掴まれて、ずるずるとベッドに押し倒された。 「由比、由比」  仰向けで礼嗣に覆い被され、涙がぼとぼとと落ちてくる。由比も目の裏が熱くなり視界が滲む。もうどちらの涙か分からない。 「もう、行かない、一緒の時間を過ごす、一秒でも惜しい、ただ由比に嫉妬して欲しくて飲みに行ってたけど、そんなの意味がないと分かった、ごめんなさい」  こんな時だけ饒舌だ。 「僕が嫉妬して、それで礼嗣は気持ちが楽になるの?」 「ならない、ならなかった」  ぎこちなく唇が合わさった。涙の味がした。 「待つのも辛いんだよ」  我ながら苦しい声が漏れた。 「うん、もう待たせない」 「もう僕を試さないで」 「しない」  あまりに堂々と言うものだから、由比は疑いの目を向けた。 「それって信じていいの?」  手の甲で礼嗣の頬を拭った。 「これから、信じてもらえるように何度でも言う、ずっと側にいる」  由比と礼嗣は別の人間だ。分かり合えるのは難しい。それでも互いに一緒にいたら伝わるなにかがあるかも知れない。 「礼嗣のそういうところいいな、だから愛したのかも知れない」  由比の告白に、礼嗣はにんまりと嬉しそうに顔をほころばせた。 「それって褒めているの?」 「半分だけ」  酷いな、と礼嗣は目が隠れてしまいそうに微笑んだ。その笑い一つで、彼の心のさまが見透かされる。どうか愛に怯えるときにも、気持ちが伝わらないと苦しいときでも、彼にはこの表情を忘れて欲しくはなかった。  由比はうすら笑いをした。それでも寒々とした気持ちになったのは自分に対しても、礼嗣に対しても嘘を吐こうとしたからだ。 「もう置いていかないで」  由比が泣き声を漏らすと、礼嗣はいかにも当惑しきったように、しかし幸せをかき集めたような顔をしていた。 「由比、愛してる、ずっと愛してる」  僕も、と由比はこれ以上無理に笑い返すのやめて、礼嗣と一緒に涙した。
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