第二章:鬼の哭く街

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 障子の隙間から薄い月明かりが漏れ入る。ヒビキは刀置台に飾られた漆黒の刀と哭き鬼の面の前で正座をしている。もう戻れない……そんな思いがヒビキの中に渦巻く。         ◆ 「刀を買っていただけないでしょうか?」  ヒビキの店にその男がやってきたのは1カ月ほど前のことだ。その男のことは今でも鮮明に覚えている。異国の血でも混じっているのか亜麻色の髪に藍色の瞳、すらりと細身の体に整った顔立ち。表面上は笑みを浮かべて、丁寧な言葉遣いだが、そこには温かさを感じさせない独特の雰囲気。  名前は確かコハクといった。その男が携えていた漆黒の刀を鞘から抜き放つ。刀身までもが黒く光るその刀を一目見た時からヒビキの心は奪われてしまった。 「……これは?」 「美しい刀でしょう? 『紅喰』と言います。私には手に余るものでしてね。買っていただけないでしょうかと言いましたが、もしよろしければお譲りいたします」 「えっ……しかし」 「いいんですよ。あなたずっと心に抱えている想いがありますよね」 「……」 「……私は人助けがしたいだけなんですよ」  そう言ってコハクは笑みを浮かべた。確かにそれは笑顔なのにヒビキは背中に冷たい汗が流れるのを感じた。         ◆ 「何の音や?」戸の開くような音でツクネは目を覚ます。  よく耳を澄ますと外に出ていく足音が聞こえた。隣のユキジを見てみる。かなり疲れていたのか深く寝入っている……となると、先ほど出ていったのはヒビキか。「こんな夜更けに何や?」とツクネはいつもの籠を背負い、玄関口まで出ていく。すでにヒビキの姿はなかった。  ツクネは通りを少し散歩してみることにした。ヒビキには夜には出歩かない方がよいとは言われていたが、根っからの好奇心旺盛なツクネにとって、辻斬り騒動は興味の対象だった。ヒビキの店から出て通りを何町か歩いていく。夜風がちょうど気持ち良い。  夜の散歩に機嫌を良くして鼻歌でもでかけた時だった。遠くで悲鳴のような声が聞こえる。急いでツクネは声の聞こえた方へ走る。 「た……助けてくれ!」  ツクネが辻を曲がったところで一人の男が駆け寄ってくる。見ると肩口から血が流れている。 「どうしたんや?」 「鬼が……」 「鬼が何やて?」  男は傷に手をやりながら、肩で息をしているため話が要領を得ない。ツクネが男から詳しく話を聞こうとするところに人影が近づく。 「……その男を渡してもらおうか」  その声に振り返ったツクネの視線の先には漆黒の刀を携えた鬼面の男が移った。 「あんた何者や?」 「あいつだ! あいつが俺らの仲間を……」  男が叫ぶ。その刹那、鬼面の男がツクネの横を駆け抜け、その男に向けて刀を振り上げて斬りかかる。 「危ない‼」  男に刃が振り下ろされる寸でのところでツクネの鋼鉄製の玉すだれが伸びる。闇夜に甲高い金属音が響く。ツクネの手に衝突のしびれが伝わった。 「何するんや! あんた」 「そいつは商家に押し入りを働いた一味の者だ。裁きを与えるに値する」  鬼面の男は刀の先で男を指しながら言った。ツクネも振り返り男の方を見る。男は肩で息をしながら視線をそらした。 「さあ、その男を渡してもらおうか」  鬼面の男は一歩ずつ近づいてくる。 「だからといって……」  ツクネが指の間に挟んだ小さな球を投げつける。鬼面の男がそれを刀で受けるとあたりに一瞬にして閃光が走る。 「人を殺してええ訳ないやろ!」  目くらましの閃光弾をぶつけた隙に、ツクネは玉すだれを振りかざした。しかし、その一撃は刀で受け止められてしまう。鬼面の男とツクネは鍔迫り合いのような形になる。
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