第二章:鬼の哭く街

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 込みあげてくるかつてのヒビキへの想いを押し殺しながら、再び間合いを詰める。今度はユキジが大上段なのに対してヒビキは正眼だ。 「どうしたユキジ……踏み込みが浅いぞ。私を止めるんじゃなかったのか」 「……ヒビキさん、あなたもしかして……」  ユキジの言葉を待たずにヒビキは正眼から突きを繰り出す。それをユキジは体さばきで躱しながら、大上段からヒビキの刺突を刀身で受ける。ユキジの間合いがヒビキの側面をとらえるが、ユキジはとっさにためらって距離をとってしまう。 「今の私はヒビキではないと言ったはずだ……ユキジためらうな」  先程までの数合でユキジは察していた。もともとヒビキは剣才があるとは言えない方だった。真面目な性格で誰よりも練習を重ね、剣を愛していたが、実際の実力でいうとヤシロの弟子の中でも最も低かった。すでに五年前の時点で試合ではユキジがヒビキに勝っていた。それでも周りの皆から一目置かれていたのはひとえにヒビキの人柄のおかげだった。  どのような事情があったのかはわからないが、今更ながら誰かに止めてもらいたかったのかもしれない。もちろん本気で打ち込んできているのであろうが、そこにはこれで楽になれるというような一種の清々しさのようなものが見られた。  五年前のヤシロが開く剣術道場時代のようなやり取りが続く。そこには言葉はない。だが剣を使ってお互いの心の対話がなされていた。数合の剣による対話の後、ヒビキが振り下ろした刀をユキジが思いきり跳ね上げる。ユキジは刀を返し、がら空きになったヒビキの小手に鋭い一撃を入れた。  ヒビキは衝撃で刀を落とし、右の手首を抑えながらうずくまる。そこにユキジがヒビキの顔の前に刀を突きつけた。 「ヒビキさん……勝負ありです」 「……いや、まだだ」  ヒビキは右の手首を気にしながら立ち上がる。峰打ちとは言え骨ぐらいは折れているだろう。 「そのケガではもう戦えません……もうやめてください」 「ユキジ……もう私はヒビキではない。刀に魅せられた一匹の妖怪、白鬼だ。とどめを刺すことを気に病むことはない」 「……ヒビキさん。いったいどうして?」  ユキジの問いかけに、ヒビキは顔を背ける。鬼面の奥ではどのよう表情をしているのかまではわからない。 「……私にとってヤシロ先生はあこがれだった。いつか先生のように人々のために剣を振るっていきたいと思っていたよ。剣術が好きだった……才能は全くなかったが、ユキジ、お前たちと剣を振るっていた日々は幸せだったよ」 「……」 「古道具屋の店主になった後も、心の奥底にあるその思いは消えることなかった……きっと妖刀にそんな心を見透かされたのだろうな。妖刀は私に力をくれた。そして、その力は少しずつ私を壊していった。あれほどヤシロ先生には力の使い方について教えてもらったのに……」 「……ヒビキさん」 「さあ、お喋りはここまでだ。妖刀を使うたび少しずつ私は侵食されていった。私自身の心が残っているうちにすべてを終わりにしてほしい」  懇願するような声でユキジに伝える。ユキジは刀を振り上げるがそこで止まってしまう。やはりできない……ユキジがそう思った瞬間、ヒビキが落とした漆黒の刀からたくさんの触手が伸び、ヒビキの右半身を覆う。 『ここまで来て器を失う訳にはいかん……力を与えてやる』  腹の底に響くような低い声が聞こえた。赤黒い触手に覆われたヒビキの右腕が刀を振るう、とっさにユキジは刀で受け止めたが、その威力で後方に弾き飛ばされる。ヒビキは咆哮のような唸り声をあげた。すでにヒビキの心はここにないのかもしれない。 「さて『紅喰』が完全にあの男の魂を喰ってしまったようですね。どうします? ユキジさん」  塀の上でコハクが笑みを浮かべている。コハクは特に自分自身で手を下すこともなく、ただこの三局の戦いを眺めていた。
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