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 迷いサキュバスを保護した。  ピクシーたちと共に西の丘まで遊びに行ったところ、花畑の中に彼女が倒れていたのだった。  この渓谷はスピカの結界で囲われているため外の妖魔がいることは珍しい。訝しんでいるうちに私たちの気配に反応し、上がった顔は何と目が真っ白で、急ぎ屋敷に運び入れたところ人間によって”滲む錆色(モノクロ)”(失明、失聴等身体機能を消す、ジャンル:心身の中等魔法)をかけられていたことが分かり、魔法を解いてやったのだった。然しながら理由が理由なので……精気を奪うため人間の家に入り込んで少々お痛が過ぎたというのだから同情の余地は然程なかったのだが。 「全く災難でしたね。でも当然の報いのような気もしますが……あまり悪戯し過ぎてはいけませんよ」 「うふふ、ありがとうございました」  にこにこと屈託のない笑みを浮かべる彼女は確かめるように羽を動かす。紅茶を勧めると素直に椅子に腰かける様はしとやかで、最早サキュバスだと言われなければ誰も気付くまい。 「ところであなたは珍しいわね。妖魔でさえわたしたちのことを警戒するのに、わたしにお茶までご馳走してくれて……そちらのヤギの婦人は全く警戒を解かないけれども」 「あなたがサキュバスであることには、警戒しておくに越したことはありませんから」  にべもなくメイさんが言い放つ。それに気を悪くした様子もなく、彼女はティーカップを持ち上げた。  うららかな正午前(ひるまえ)。人間とヤギの悪魔とサキュバス。珍奇なティータイムである。  ところでメイさんは最初からこの応接間にいたわけではない。具合が悪いようで自室に籠っていたはずなのだが、来客、しかもサキュバスが来たと知るや同席してくれているのである。  サキュバスとは、”聖書の悪魔”の異称を持つ女性体の淫魔である。悪魔としては下等に位置する彼女らは夢魔であり、男性の夢に入り込みその手管を以てして精気を搾り取る。搾り取ったそれは自身の活力源であり子種になる。因みに男性体の淫魔はインキュバスという。サキュバスと逆で、女性の夢に入り込み対象を犯す夢魔だ。このインキュバスがサキュバスから受け取った(?)男性の精気を以てして女性を犯して孕ませる。そうして生まれ落ちる子供を半人半魔のカンビオンという。  さて、ここまでの説明で一体いくつ疑問が浮かんだだろうか。  生殖本能からくる行為ならば、淫魔同士で交われば人間を犯す必要はなくなるのでは?――回答としては、根本的に淫魔同士では子供ができないと言われている。  上記の説明では実質人間同士の精気の受け渡しになっていないか、生まれ落ちるのは人間の子供ではないのか?――明言はできないが、悪魔の身体を一度経由している以上、魔力は確実に纏っていると思われる。よって半魔の可能性はやはりゼロではない。  インキュバスとサキュバス間でどうやって精気の譲渡がなされているのか?――不明である。  要するに、誰もが知っているようでいるメジャーな悪魔はその実、実態をよく知られていないのだ。  然しながら彼女は傍から見ると(勿論羽と尻尾をしまったらだが)、淑女そのもので悪魔には見えない。が、如何せん悪魔とはそういうものだ。相手の一番安心できる、警戒しない姿でなければ対象に近づけない。悪魔に見えなくとも彼女は正真正銘のサキュバスなのである。男性陣が出かけていて良かった……でもスピカなら彼女がアクションを起こす前にその手を封じ込めるだろう。  それにしてもサキュバスなんて初めてお目にかかった…… 「そうです、私、サキュバスに会う機会があったらぜひ聞いてみたかったことがあるのです」 「あらなぁに? SEXのお悩み? 恋バナ? 折角だし何だって答えちゃう!」  前言撤回。やっぱり彼女は淫魔だった。 「サキュバスには夢に悪戯して精気を絞りとるモノと本当に身体を張るモノといるようだって説を最近見かけましたが、あなたは後者のようです。そこは個体差なのでしょうか?」 「学術的な真面目なの来ちゃった。そうねぇ、まずはナイトメアらしく夢に悪戯して搾取するんだけど、それだけでも十分搾取(とれ)るんだけど、大体物足りなくなるから実際にヤるって感じかしら」 「えぇ……」 「いやいや、夢だけじゃ物足りなくなるものよ? 自分の手管が本当に気持ちいいものか確かめたくなるの。でも中には夢への介入だけで済ませる子もいるわ。かなり少数派なのだけど」 「そもそも淫魔ってSEXを何だと思っているのですか。ただの手段ですか?」 「手段と娯楽?」 「淫魔って恋をすることって……」 「リズ。文献や伝聞に囚われず自身の目で判断しようとするのはあなたの好ましいところだけど、そのくらいになさいな。彼女は文献通りのモノだから」  メイさんがやんわりと割って入るので、釈然としない気分で紅茶を口に含む。  SEXとは愛ありきだ、というのが私の認識だ。心を寄せ合う相手同士だからこそ、触れ合い、肌を合わせるものだと。だが彼女は違う。このギャップは中々に凄まじいものがあった。 「ねえ、ところでそもそも、何故人間って三大欲求であるはずの性欲を隠したがるの? わたしはその方が不思議」  ショートブレッドを口にしながらサキュバスが声を上げる。突然上げられた問いにドキリとし、私はつい、うろ、と天井に視線を逃がしてしまった。 「……各々トピックに似合う時間帯ってあると思います。性は日中は似合わない、群を抜いてセンシティブな話題だからですよ。アイスブレイクなら食や天気の話題だけで十分です。少なくとも、人間はそうです。多分……」  本心である。  妖魔と性についておさらいしてみよう。妖魔と性について語るのなら、彼女らサキュバス/インキュバスを取り上げるのが一番手っ取り早い。彼ら乃至彼女らの本質は誘惑である。そんな誘惑悪魔のルーツとしては、夜の魔女・リリスが挙げられる。アダムの最初の妻とも言われる彼女は、エデン出奔の後、死・冥界・夜と関係を持った。悪霊・リリムたちを始め数々の悪霊の生みの親である生粋の誘惑悪魔、そんな彼女は絵画の世界では、美しい女性、裸体もしくは薄物を纏い、梟や蛇を侍らせた姿でよく描かれる。  蛇は、古来より誘惑の化身と伝えられており、絵画の世界では蛇=誘惑とすっかりアトリビュート化している。()のラミアは本来人間を襲い、食べてしまう怪物だが、この蛇体という観点から彼女を誘惑悪魔と同一視する文献もある。ラミアの人食いの性が、様々な解釈のごった煮の最中、性的搾取者としての誘惑悪魔・レイミアを生み出したのだと推察される。そしてどうにも、哀しいかな俗世は、恐怖心を駆り立てるものよりもエロスが生き残る節がある。そのうち元来のラミア像が消え、レイミアと完全に混同される日もくるかもしれない。  勿論、蛇体の特徴はあくまで一例である。豊穣・ワイン・酩酊の神ディオニューソスの信者で色情魔と名高いサテュロスは半人半山羊。女性ならば人間も精霊も隔てなく、時に美少年でさえ手にかける。ナイトメアであるエンプーサ、彼女はキマイラのように複数の生物の特徴を持つ女性の夢魔だ。悪夢を見せ、血を吸い、果てにその対象を喰らってしまう。だがレイミアやサキュバスのように誘惑の一面も持ち合わせている。中には男の元に押しかけ、ベッドを共にし、果てに挙式にまで漕ぎついたモノもいたらしい。結局このエンプーサは列席していた新郎の師に正体を暴かれ、悲恋に終わってしまったという。  実はニンフも誘惑の一面を持っている。山のニンフ・オレイアスや森のニンフ・アルセイスは野趣的で、山野で踊り、旅人を誘い、狂わせる。  因みにこの渓谷のニンフたちはドリュアス、木のニンフである。時折外に出かけているのは彼女たち曰く”出会いを求めて”だそうだが、つまるところ誘惑だろうと推察される。5人揃っての時もあれば各々であることもある。中でも誘惑の気が強いのはカトルだそうだ。  妖魔たちは性、というより欲求にオープンだ。あの子が素敵だ、あの子が欲しい、あの可愛い子を種に取り入れたい……そんな素直で直情的な欲求の象徴が『妖精の取り換えっ子(チェンジリング)』。気に入った娘に目印をつけて、その目印が取り払われた時殺してしまうモノもいるし、独占欲、支配欲が強いのかもしれない。妖魔と人間の恋が成就した事例は、古来よりクエレブレとシャナを除いて他にいまいと思われた。 (私、そのシャナに続くのかも……)  やおら頬が熱を持ち始める。 「じゃあじゃあ、この際だからわたしも聞きたいな」  サキュバスの声が脳内世界から私を連れ戻したので、我に返って姿勢を正す。 「人間、基い、知能的なモノってところかしら? 何でSEXすると思う? 本能的なものじゃなく意識的なものよ」 「……え~~……?」  しばし考えを巡らせ、直ぐに口ごもる。何て答えるのが正解なのだろう? 「そりゃあ、愛しい男を心からも身体からも感じたいからでしょう」  メイさんが先に答える。そんな、今飲んでいるものは何? と聞かれて答えるような気軽さでセンシティブな内容を。 「あらぁ言ってくれるじゃない♡ さては毎夜お盛んで?」 「馬鹿をおっしゃいな。夫は私を大切にしてくださっているわ」  凛と、恥じらいもせず答え上げる。  メイさんは惚気ることにこんなに躊躇がない方だったろうか? ムロウさんとメイさんは傍から見ても仲睦まじいことは窺えるものの……今の彼女がヒトの姿だったならば胸を張り髪をかき上げてすらいそうだ。そんな色香と自信と、パートナーへの信頼感があった。 「そういえばリズはこの手の話、得意ではなかったわね」 「得意ではないと言いますか、デリケートな話題だからこそ扱いに窮すると言いますか……そうですね……恋や愛はイコールSEXではないけれど、言葉を伝えて、想いを伝えて、そんな形ないものたちを送りあって、温みを与えあって、精神的な”内”が満たされたなら後はやっぱり、肉体的に、と思うから……なのでしょうか」  言葉を選び選び、自身を思い返しながら考えを紡いでいく。  恋や愛は=SEXではないとは思う。そもそもSEXとは、かなり噛み砕いた表現をすると触れ合いだ。世にはプラトニック・ラブという言葉もあるし、情欲を伴わない愛の形も存在する。  しかし、と思う。そういえばあの時の、スピカと告白し合った時の私は、ごく自然に彼にキスをした。唇同士をくっつけただけのたおやかなキスだったもののキスには違いなかった。愛しいものに触れたくなるのは最早遺伝子レベルで私たちの潜在意識に刷り込まれているのだろうか? SEXの頻度は恐らく低めの(聞いたことはないが多分スピカが私の身体を労ってくれている)私たちだがハグかキスは日に数度は交わしているし……あ、顔が熱くなってきた。これは中々面白い問いかもしれない。スピカは、あのピュアなドラゴンは何て答えてくれるだろう? 今度問うてみようと心に決める。 「お見合いや恋をして結婚する人もいれば、生涯独身でいる人もいます。それを選ぶのはその人自身ですし、けして孤独が悪いわけじゃあないとも思います。ただ人は脆い。だからこそ、個として自分を見止め受けとめてくれる人がいることは、そう思わせてくれる人がいることは、素敵なことだと思います」  私だって少し分岐点が違ったら、シスターとして未だ純潔だったかもしれないのだ。そう思うと感慨深い。 「人間って……いや貴女って、真面目ねぇ?」  サキュバスがぱちりと目を瞬かせる。 「あぁ、もしかしてこの間まで処女だった?」  そんなきょとりとした顔が瞬く間に面白そうなにやけ顔に変わったのを見てむっとした。 「鳥にはパートナーが見つからない場合その身の純潔を守ったまま果てる種もいます。私は夫と出会うまで、恋はともかく恋愛を知りませんでした。憧れはあったかもしれませんが無理にするものでもないと思っておりましたし、今でもそう思います」 「恋愛と情欲はイコールではない。そこは賛同するけれど中身の意見は違うわね。恋愛と情欲はそれぞれ独立したものよ。情欲は常に内に存在する。恋愛というツールの、相手に触れたいって可愛い言い訳に擬態しているだけ。恋愛という服を纏って、その実本能は身体を重ねることに重きを置いている」 「なっ……! SEXとは親愛表現であると同時に暴力行為にもなり得る諸刃の剣。そんな暴力行為をどれだけ親愛表現にできるかが要でしょう? デリケートな触れ合いだからこそ想い合う相手とするものです」 「御立派。でも恋に恋していては生き残れないわよ?」 「あなたは! その言い様ですと恋をしたことがありませんね? あなたが恋を知ったら一体どんな風になるでしょう」 「どうかしら? でもきっとSEXするでしょう。……何で意識的にSEXするかって話ね、わたしはやっぱり、気持ちいいからよ!」  ここまでくると最早清々しい。私は降参の気分でテーブルに突っ伏した。 「まあ、あなたの価値観を否定する権利は私にはありませんし、もうそれでいいと思います……」  ああ、顔が熱い……どころか身体が熱いと言っても過言ではなかった。  先の、人間は性欲を表に出したがらないという問題、あれはきっと疲れるからだ。だって会話でさえこんなにエネルギーを消耗するのだから。  こんな話昼間からするものではない。猥談は体力の有り余った夜に繰り広げるべきだと改めて思う。ああ我が友ペッシェ、あなたもスタミナはない方だけど精神的には意外とタフだったのね……  と、声が一つ足りないことに気付いて突っ伏したばかりの顔を上げた。 「メイさん!?」 「んん……迂闊でしたわ……」  メイさんが同じようにテーブルに突っ伏している。湯気が見えんばかりに真っ赤な身体は突っ伏すを通りこして今にもテーブルから溶け落ちそうだった。私は椅子から立ち上がりかけた。 「やっぱり発情期が近かったのね。微かに効かせていたのに思ったより早かった」  サキュバスがいつの間にか私の背後に立っているようで、肩に手を置かれる。それに違和感を覚えた。置かれた手の角度から逆算して、彼女の腕のリーチが、背丈が高くなっている……? 「何をしたのですか……!」 「彼女、手強そうだからこっそりと、ね」  目線のみ動かしたところで、女のしなやかな手でない、大きく武骨な男の手が私の顎先から頬を撫でる。 「わたしたち淫魔は変身に長けている。その割にあまり知られてないらしいけれど、”サキュバスとインキュバスが同一個体”だって説もあるんだよ」  耳元に寄せられた唇から発せられる、琴のような高い声が低く芯のある声に変わってゆく。私は総毛立ち、ぶるぶると身体が震え出した。 「あ、そっか、旦那さん以外とシたことない? 初心(うぶ)だなぁ♡」  我に返り”霹靂(セッカ)”を放つも手首を掴まれ、飛んだそれは天井で霧散した。見とめた彼女、、、いや彼の顔はすっかり男の造りになっていた。その顔が嬉し気に、意地悪ににまりと歪む。  瞬間身体が動かなくなるのを感じる、これはもしや、”操り人形劇(マリオネット)”だ!  リズ……と名を呼ぶメイさんがとうとうテーブルからずり落ちた。 「あなたの価値観を私には否定する権利はないって言ったね……なら、わたしの子種、あなたの中に入れてくれない?」  これはまずい、唇から漏れる声も単語を紡がない、インキュバスの手が腰元にまわる……  と、それまで沈黙を湛えていた扉がなんと元気よく開いた。 「ハチミツちゃーん! (あしょ)びに来たよー! 今日はどんなお菓子があ、ゆ、のぉ……何こえ?」  赤毛を揺らして、そこからハルピュイアイが顔をのぞかせた。異常事態にきょとりとしている。ので目一杯声を張り上げた。 「助けてハーピィ! 食べられちゃう!」  この言葉が終わるか終わらないかのうちに私の横を風が切り、インキュバスの顔面に彼女の頭突きが直撃した。
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