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「ハチミツちゃんを食べちゃダメー! 食べちゃったやなくなっちゃうんだよ!」  ”蔦芽吹く(エント)”を絡ませたサキュバス(インキュバスから戻ったので紛れもなくサキュバスだ)を前にハルピュイアイが叱っている。そんな珍しい状況を横目に私はメイさんを介抱していた。  とはいっても発情期なんて取り扱ったことがない。取り敢えず濡れタオルに飲み水に、彼女が欲しがったので彼ら夫婦の部屋からムロウさんのものと思われるタオルケットをとってきて彼女を包む。後は何だろう? こんなことならその手の書籍の一つでも目を通しておくべきだった。 「メイ大丈夫ー? ねえきみ! メイに何かしたの? 魔法を解いてよ!」 「ん~~魔法をかけてどうかしたというよりも促進したって感じだから、すっかり解くってことはできないわね~~」 「しょくしんって何?」 「ん? ……感情とか能力とかの、したい! って欲求に拍車をかけて……待って”拍車をかける”は分かる?」  盛り上がっているところ申し訳ないが助けてほしい。治癒(アロマ)は効くだろうか? 共鳴と反発(リポーション)の方がいいかもしれない。そう思い練り始めたところ当のメイさんから為し終えた状態のようだからとたしなめられてしまった。ので大人しくタオルを絞る。  ああスピカ、聡明な我が夫。私は生涯こんなにも心細く思ったことはきっとありません。今とてつもなくあなたが恋しいです……  と、にわかに扉がきしむ。今度は誰だろう、誰でもいいから知恵を貸してほしい。すがるような思いで入室者の方へ顔を向けた。  扉を開いた二人がきょとりと目を瞬かせ、次の瞬間には状況を把握したように、蒼い瞳を持つ褐色の顔は苦笑を浮かべ、黒ヤギの悪魔は眉をしかめた。 「”甘美な無法(チョコレイト)”か……」  救世主、と割合本気で泣きそうになった。 ――  メイさんの身体がぴくりと反応する。すん、と鼻を鳴らし、ムロウ? と呟くと凄い勢いで身体を起こした。 「ムロウ!」  過たずムロウさんに駆け寄ったと思った時にはもう抱き着いていた。タックルに近い抱擁だったがムロウさんはよろめきもせず踏ん張り抱き止める。 「ムロウ、ムロウ! ああ私の旦那様! 私とってもあなたに会いたかったの! 寂しかったけどお留守番頑張ったわ。ねえムロウ、心細かった、わたしとても恋しかったわ。あなたに触れたかった、あなたに触れられたかった……ねえもう出かけないわよね? 出かけないで? 傍にいて……」 「あわわわ……」  ハルピュイアイが口を開けている。恐らく私の口も開いている。二人をその場に残し、「ただいま」と我が夫がこちらへ歩んできた。 「お、おかえりなさい、二人とも……そしてごめんなさい……」 「サキュバスか。これはまた珍しいお客さんだ」 「あらぁいい男♡ おにいさんお出かけ帰り? わたしがマッサージしてあ……」  サキュバスに歩み寄ったスピカはその言葉が終わる前に彼女に”水球の器(アクアリウム)”をかける。水の塊が瞬く間に彼女の頭を包み込んだ。 「どんな経緯でここに迷い込んだか知らないが、ここに棲まうモノに仇なすのならオレは遠慮しないからな」  ごぼりと、”水球の器(アクアリウム)”が彼女の吐き出す(あぶく)で埋まる。 「あー……スピカ、実はこちらのサキュバス、私が連れてきたんです。”滲む錆色(モノクロ)”をかけられてふらふらだったので」 「そうなの? ”イレイス”が河岸に浸かっていたのはそういうことか。じゃあ……恩を仇で返すようならオレは容赦しないからな」  律儀なのか意地悪なのか、言い直したところで、さて、とスピカが振り返るのにつられてそちらへ目をやる。ムロウさんは依然眉をしかめながらもメイさんの背を撫でており、メイさんは変わらずムロウさんを離さず、かける声は甘く蕩けてしまっており、短い尻尾がぱたぱたとせわしない。  可愛い……何時いかなる時も冷静でしっかり者でみんなのお姉さんという風情の彼女が、今現在に至ってはとてつもなく可愛らしかった。 「ね~~シュ~~、メイ真っ赤で(くゆ)ししょうなの、(たしゅ)けてあげてよう……」 「そうしたいのは山々なんだが、今メイをどうにかできるのは、ムロウだけなんだ」  そう言うスピカがメイさんに手を伸ばすと、なんとその手をムロウさんが掃ったではないか! その手(前足)が水差しを指さした。 「リズ、それに水は?」 「あ、はい、まだ7割方入っています」  寄越すように手が動くので持って歩み寄る。 「もう! ムロウ! リズじゃなくて私を見てよう! なんでそんな意地悪するのぉ……」  やきもちだと!? 可愛い! 「意地悪じゃあないな、それに我は少々機嫌が悪い……きみが酷いことをしているからだぞ、メイ」  ため息と共に吐き出された言葉にメイさんはきょとりとする。私たちも首を傾げる。 「お怒りなの? 何故?」 「何故きみは部屋じゃなくここにいる?」  そう、ムロウさんの金色の目がきとりと動く。 「発情期が近いからあまり誰かと関わるなと、部屋で大人しくしているようにというのはいつもの約定だったろう」 「だって……状況が違かったのだもの……サキュバスがいるのにリズ一人で相手をさせるのは心もとなかったのだもの……」 「きみのそういうところは美点だが同時に悪癖だ。それでこの有様では言い訳にもならないぞ……我がどれだけきみを想っているのか、改めて思い知らさなければいけないな」  我の機嫌が悪いのは、とムロウさんの手(前足)がメイさんの頬を挟み込む。最早互いの瞳には互いしか見えていない。二人だけの世界である。 「可愛いきみの姿を我以外のモノの前に晒したことに他ならない。秘密のきみは我だけが知っていればいい。そうだろう? スズランの君、我がプリンセスよ」 「キャー!!」  女子四名のアンサンブル(~水泡サウンド重ね~)。傍らのスピカが呆れを含んだ眼差しを向けてくるのを感じる。本当にすみません、我ら女子というものはこういうのに弱いんです。  もう飛ばすぞ、と声をかけスピカが指を鳴らすと、二人と水差しの姿が消えた。
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