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目が覚めると、深夜2時を回るころだった。
気だるい身体を起こし、浅い息を吐く。寝汗で背中はぐっしょりと濡れていた。
――嫌な夢だった。
家族を残して死ぬ夢。
持病が悪化して入院している私にとって、その夢はあまりにリアル過ぎた。
夢のなかで、私は棺桶に入っていた。お葬式のときに、死んだ人を入れて運ぶ大きな棺。そこに白い花ととも自分が入れられるのを、私は"自分のなか"から見ていた。代わる代わるに棺桶を覗く家族たちはみんな、私が死んだことを悲しんでいる。
「まだ私は生きている」
「ここにいる」
そう言いたいのに、私の身体はぴくりとも動かず、声も出ない。家族の泣き声があたりに響くなか、棺桶の蓋が閉まり、そして夢が覚めた。
まだ、恐怖に手が震えている。
目を閉じれば、棺桶のなかの塗りつぶされたような暗闇がおそってくる。瞬きをすることさえも怖くて、私は枕元にあったスマホを開いた。なんでもいいから、生きている実感が欲しかった。
適当なSNSを開いて、どうでもいいどこの誰かも知らない他人の投稿を目に入れる。無機質なブルーライトを浴びながら深呼吸を繰り返すうちに、やっと現実に戻ってきた実感があった。SNSは見ていても特段楽しいものでもないが、それでも誰かとつながっている感覚がお手軽に手に入れられる。
何度もスクロールを続けているうちに、何気なく見かけた写真が目に留まった。
「……桜、咲いたんだ」
どうやら、私が数日寝込んでいるうちに、桜が開花したらしい。満開の桜を撮った写真にタグ付けられているのは、すこし南のあたたかい県。
さびれた北の田舎町では、まだ蕾すら膨らんでいないだろう。
頭ではそう思うのに、なぜか見たい、今見なくてはならない、と心から思った。
入院してからというもの、検査ばかりの日々に嫌気がさしていた。
そう、だから私には息抜きが必要なのだ。
自分に何度も言い訳を重ねて、私はそっと病室を出た。
途中、何人かの看護師さんに見つかりそうになったが、すんでのところでそれを交わす。
無事病院を出たときには、思わず笑いだしてしまっていた。自分に、こんな才能があったなんて。もしもうすこし昔に生まれていたら、くのいちにでもなれたかもしれない。
病院のスリッパとパジャマのまま、私は病院の外に出た。私の姿を見かけた人がいたら、きっと幽霊だと思っただろう。まだ冷える春先に、白い病院のパジャマを身に着けて、笑いながら歩いている女。
でも、さびれたこの町では、深夜にはほとんど人が出歩かない。だから、誰に見られることもない。月だけが私を見守るなか、誰もいない道路の真ん中を私は全力で走った。
走っているうちに、息が切れて胸が苦しくなった。身体に悪い、そう思ったけれどお構いなしに走る。
病院からすこし歩いたところの川沿いに、桜の木が植えられていたはずだ。
「……あった!」
土手を登り切ったさきに、桜並木が静かにたたずんでいた。
目的地にたどり着いたのだ。
夜風に吹かれている枝には、思った通り、蕾すらない。
――分かっていた。分かっていたのに、すこしだけ胸が締め付けられた。
桜の咲くころ、私はどうなっているのだろう。そんなことを考えてしまったからだ。
夜風に吹かれながら、私は桜並木の下を歩いた。春先の寒さに、耳も手の先もかじかんでくる。白い月の光は冷たくて、それでもないよりはあったほうがましだ。一人じゃないと思えるから。
そうだ、小さい頃、幼なじみのひろ君と一緒にここを歩いたっけなぁとふと思い出す。ひろ君とは、幼稚園も小学校も一緒だった。中学にあがるときに、ひろ君はお隣から引っ越してしまったけれど。
ひろ君は、優しくて、かっこよくて、いつも女子に囲まれていた。いま思えば、あれが初恋だったのかもしれない。それから、ひろ君には会えず仕舞いだ。小さい頃のことだから、連絡先も聞いていなかった。
今ひろ君がどうなっているのか、私にはこれっぽっちも分からない。元気に過ごしていればいいなぁ、なんてぼんやりと思った。
その時、爆音のエンジン音が辺りに響く。
唸り声のような音を響かせたバイクが、大きな音を立てて近づいてくるのが見えた。こんな深夜に迷惑な人だな、そう思いながら、私は病院までの帰路につくことにする。
これからまた看護師さんをやり過ごし、何事もなかったかのように病室に戻ると思うと気が重い。叶うなら、このままどこかに行ってしまいたい。
冷たくなった手をさすりながら、スリッパで滑るように土手を下がっていく。ちょうどそこに、爆音を立てていたのと同じバイクがとまっていた。
そこにはヘルメットをかぶった男の人が乗っていて、私は思わず足を止める。
まがりなりにも、夜中に女ひとりっきりだ。身体がこわばる。
何も絡まれませんようにと祈りながら目の前を通る。
「……あれ、香菜ちゃん?」
名前を呼ばれて、私はぎくりと足を止めた。
「香菜ちゃん、香菜ちゃんだよね?」
なんで、私の名前を?
混乱するうちに、バイクの男がヘルメットを取る。
「俺だよ、ひろ」
「ひ、ひろ君?!」
すこし垂れた優しそうな目に、泣きぼくろ。
大人になったからか、かなりガッチリしたようだけど、たしかにひろ君の面影があった。
「ど、どうしてここに?!」
「それはこっちの台詞だよ」
「あ、私は……」
あはは、と乾いた笑い声をあげた私に、ひろ君がバイクを留めて駆け寄ってきた。
「寒いでしょ」
そう言って、自分が着ていたライダースを肩にかけてくれる。
どこかで嗅いだことのある男物の香水と、たばこが混じりあったような大人の香りがした。
「ありがとう」
「いや、そんな格好して、どこに行く気だったの」
どこか咎めるような声音に、私は肩をすくめる。
「……桜が見たかったの。でも、咲いてなかった」
苦笑いをする。怒られる、と思った。
子どもの頃から、ひろ君はいつも私のことを気にかけてくれていた。
だからだろうか、ぽつりと言葉が漏れた。
「私ね、もうあんまり長くないの。だから……桜が見たかったの」
私の言葉に、ひろくんは声を失う。
困らせているのが分かっているのに、私はさらに言葉を続ける。
「だからさ、どこかに連れてってよ」
ひろ君は困ったように眉毛を下げて、頷いた。
「――いいよ」
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