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 此処へ来て初めて、私はリーン教典の元となったアルビオンの書を此の手に取った。ファーリーンでは司祭位上の者でなければ触れてはならぬとされている神聖なる書は、アウリーでは一般に出回っていた。私はリーンの修道士で在るからして、斯様な状況に在れど本来其れに触れてはならぬのであったが、好奇心に敗北したが故、密かに一冊入手した。果たして其れは非常に興味深い神話であった。リーン教に於ける最高神たる天空の神は無性であるとの記載数多(あまた)。アウリー人の信奉する神も、二神が仕える月の神子も皆性と云う概念を持ち得ぬらしい。私は長らく、我らの神は男の姿であると教えられて来た。その根拠は彼――、否、()の様に表すが適切であるか判りかねる故、()(まで)神と記そう。神が天界アルビオンより降り立たれた時、初めに創り出された自らの分身は男の姿をして居られた。其のために我らの神は男とされたようである。確かに、アルビオンの書に於いても、高位神族たる三神が初めに作り出されたのは皆男の姿、乃至(ないし)一見して男性的な霊気を持たれる分霊であったと記されている。しかし、例えばアウリーの神は屡々(しばしば)人の女体に宿り人々の前へと現れ、そして半神半人をその女性体で(もっ)て産み(たも)うた。故にアウリーの神は女神と謳われがちでもあったが、そうと云う訳でもない。高位たる神々が抑々(そもそも)性別と云う概念を持ち合わせて居られぬ事は、アルビオンの書には明確に記されている。其の様なものは超越しているのだ。其処に固執する私とはまるで対照的である。私は改めて己の下等さを思い知った。そして更に云うなれば、此の書には同性愛を禁じるだとか、()してや罪である等とは何一文とて書かれてはいなかった。つまり私の罪は神に()って(もたら)されたものではなく、リーンの(おしえ)を説いた者に因って生じたものであると云うのであろうか。(しか)しリーン教典は聖人が神より伝授された言葉より作り出されたものだと伝えられている。其れが事実であるならば、やはり我らが神は私を罪悪と見做(みな)すのであろう。  時は過ぎ往く。私は二十三に成っていたが、逃亡した際の年齢より成長している心持ちがまるで無かった。そして此の一六一九年と云う年、ファーリーン王国は愈々(いよいよ)動乱へと投じられたのである。帝国内そして周辺の国々をも巻き込んで、教典派と原書派での争いが全面化した。それは国王に因って齎された災難であった。彼が原書派を弾圧する発言をした事が、辛うじて保たれていた二勢力の互への譲歩を許す関係を崩壊させた。(かつ)て偉大なる教王が国政と宗教を分離した偉業を、現代の国王が宗教に介入し圧砕したのである。故にファーリーン王国は分断を余儀なくされた。教典派として、王都リディの教典派閥、ザルツ公領、そしてザルツ公爵とアウリー国王が親戚関係である為に、アウリー王国も教典派として参戦。其れに加え、ファーリーン国内の混沌化を望むヴァリュレイ女王国とシーク首領国連邦が加わった。対して、原書派には弾圧に反した王都リディの原書派閥、ベルン侯領、レイス侯領、アクスリー公領、皇帝の親類が治めるヴィオール大公国、そしてやはりファーリーン国内を撹乱する為、ヴァリュレイ女王国とシーク首領国連邦の兵、そしてフォルマ帝国が加わった。ヴィンツ候領は公には中立を宣言したが、傭兵と云う建前を用いて非公式に原書派へと加勢した。そしてヘザー侯領は主君の代替わりを経て原書派へ転換していた。ウェリア騎士団は無論教典派である。つまり私は其の元から逃亡したとは云え、未だ想い続けている故郷と対立する事となったのである。私は嘗ての主、馴染みの男、そして彼の妻となったのであろう嬢の事を思い、殺伐とする日々を過ごした。  兵力は原書派が上回っていた。其の差は歴然とする程のものではなくとも、充分な知恵を働かせなければ為らぬ程度の開きであった。アウリー本土から六千の増援がウェリアに集った。ウェリア騎士と合わせて八千となる。此処はキュアス諸島の中枢であって、諸島はフォルマからの攻撃を受け易い。基本的にフォルマ帝国が対抗しているのはファーリーン王国であって、其の内乱に加わる事は建前上は恩を売るものであっても、彼らの本心はリーン人を殺戮したいという至極単純なものである。されどアウリー王国がファーリーンに加勢した以上、フォルマの矛先はいずれアウリーへも向いて来るであろう。しかし緊張感漂う中でも三年の間、ウェリアはフォルマ兵に侵攻される事はなかった。此れ迄と変わらず、時折海賊が現れるのみであった。  しかし其の三年が経つ頃には、フォルマ帝国やザルツ公領の原書派勢力が諸島に攻撃を仕掛け始めた。フォルマ帝国は原書派に付いてはいるものの、兵は特に此れと云って教典派だの原書派だのと考えては居らぬ様で、キュアス諸島全域に出没し島を襲うので、ウェリア島に集ったアウリー兵はそちらへの対処に向かうべく散った為、ウェリアに残されたのは千人ばかりだった。ところがザルツ公領から()って来る原書派勢力が狙うのは(もっぱ)らウェリア騎士団であった。ウェリア騎士団は先にも説明したがユストゥリアス騎士団を前身とする古き修道戦闘組織である。其の歴史は八百年に及ぶ。現代に於いては教典派として教王の勢力に次ぐ影響力を持つ。要はこのウェリア騎士団を潰した成らば教典派の勢いは衰える事必然という訳だ。其れは戦力的なものではない。ウェリア騎士団員数等は高が知れて居り、此処で原書派が求めるのは、教典派の精神的支柱を一つ折ってやる事に他為らないのである。  ウェリアは島である以上、戦闘は海上で行われた。原書派はフォルマ兵との混合で遣って来るが、フォルマ兵はまるで無尽蔵の様であった。如何なる時代の戦いに於いても、どうやらフォルマ帝国と云うものは数で仕掛けて来るらしい。ウェリア騎士団員二千とアウリーの増援兵一千に対するのは、一万二千の兵であった。幾ら此方には拠点が在るとは云え、四倍の戦力差と云うものは如何(いかん)ともし難く、日々味方の負傷兵が修道院に集められた。私は拠点に残り彼らの介抱をする役目を与えられ、其の様にしていた。昼も夜も無く負傷者は苦しみの呻きを漏らし、私も(また)、昼も夜も無く彼らを慰め続けるばかりであった。
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