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 十七で(おしえ)(おさむ)ろうとする者と成り九年、その間道を共にした者が大層な傷を負い帰還した時、私は「此の者の肉体はもう助からぬ」と思った。実際、彼は三日の間高熱と傷の痛みに(うな)され続けた。三日目の深夜、月も出て居らぬ暗黒の中で灯火を持って彼の傍に寄れば、彼は朦朧ながらにも意識を取り戻した。死を目前にした彼が行った事は、懺悔であった。「私は望んで此処へ()って来た訳では無いのだ」と其の者は言った。「左様で在るから、神は(いか)って御出(おいで)であろう。生半可な心持ちで此処へ遣って来て、そうして生半可な心持ちの(まま)で今も居る。此れでは為らぬと己を律する事が出来無かった。神よ、申し訳有りません」と、彼は涙ながらに告白した。果たして神は彼の懺悔を聴き届けられたであろうか。答える者は無い。私は其の者の血濡れた包帯に覆われた右手を取り、「貴方が()の様な心持ちで在ったとしても、私の目に映る貴方は己を律する事の出来る人でした。出来無かったと申されるけれども、真に其れが出来て居られなかったのであれば、其の様に他の目にも映るものだと、私は考えます。此の様な立場に為る事を望んで居られなかったと云う、其れにも(かかわ)らず、貴方は此の立場に相応しい人間に成らねばと思い、努力して居られたのでしょう。為らば充分ではありませんか。そして先に当たって、貴方は自ら志願し前線へと往かれた。其の覚悟たるや、誉れ高き聖なるウェリア騎士其のものですよ。神は貴方を見て居られる。貴方の心も、行動も、全て見て居られるのです。貴方の其の人の器から生じる汎ゆる負の感情に打克たんとする、貴方本来の姿である神聖なる魂の様子を、充分にご覧あそばされて居られた筈です。そして貴方は教の為に戦ったのです。之は貴方が勝利した証に他ならない。故に後ろめたい事など在りはしません。その誇り高き魂を神に委ねましょう。神は初めから貴方を赦して居られるのですから」と、此の者が安らかに逝ける様慰めた。すれば彼は両手で(もっ)て私の手を握り締め、落ち窪んだ目蓋を甚だ拡げて私を見詰め、「初対面の時分より、只為(ただな)らぬものを感じて来た。成程今解った。貴方は光だ。神が遣わし(たも)うた光に相違い無い。私の死に際に光が御わす。何と有難(ありがた)き事であろうか。私は此処へ遣って来た事を幸福であると、今初めて本心より思う事が出来た。神よ感謝します」と言い、息を引き取った。私は何とも苦々しい心持ちと為った。彼を慰めたいとした気持ちに偽りは無いにしろ、私を光等と。(まし)て神が遣わし賜うた存在である様に言われては、全く(たま)ったものではなかった。  三年前に援軍として遣って来たアウリーの兵士の一人と、私は親しくしていた。当初の彼は、リーン人は頭の堅い連中で在るから到底関わり合っても友好的な関係等築けはしないと考えていた様であるが、私がリーン教の修道士であるにも拘らずアルビオンの書を所有している事を知ってからと云うもの、私に興味を抱いてしまった様子であった。「原書派と呼ばれる連中も、所詮此の聖なる神話の本来示す処を理解しよう等とは考えて居らぬのだ」と、そのアウリーの兵は都度口にした。私は教典派の主張にも原書派の主張にも関心が無かった。抑々(そもそも)私は修道士で在りながらリーン教典の示す処に関心が無かった。(むし)ろ其処に私を救い賜う様な言葉は何一つ記されては居らず、何処を切り抜いても私の心を逆撫で苛つかせるばかりであったので、嫌悪していたと言ったが其の方が余程通りである。アウリーの兵は、船の一隻を任される立場の男であったが、多勢に対し撃沈され辛柄(からがら)と救い上げられ修道院に収容された。砲撃に()って爆砕された船の破片が彼の肉を切り裂き、此れも(また)助からぬ命であると私は早々と感じた訳だが、其れは当人も口振りからして同様であった。彼は今際(いまわ)に於いては同郷の者でなく、私を呼び寄せた。「お前との議論は大層気分の()いものであった」と言う。「お前の語る宇宙の論理は興味深かった。神子の守護神の子等として我々は同胞では在るが、何故(なにゆえ)態々(わざわざ)神々が示し賜うている其の道の正偽(しょうぎ)を争う者共に、平和を享受するに事欠かぬ我等が駆り出されねば為らぬのかと、天神の子等を憎たらしく思ったものだ。だが、其の中に唯一人お前という存在を見附(みつけ)られたがこそ、私は此の場を離れる事無く闘えたのだ。私はお前の中に希望を見た。希望の光は未だ此の苦しみの世に在らねば為らぬ。左様、光なのだ。光には影が付いて回ろう」其処で言葉を止めた彼は、私の目をその青い瞳で以て射抜いた。「お前は解っている。光在れば闇在ると。強い光は其れだけ強い闇を生じせしむると。逆も亦然り。左様であろう」私は頷き返す事もせず、只彼の瞳を見詰め返すばかりであった。「相反し対極に位置する様でいて、其れ等は表裏一体で在る。表裏で在る以上認識出来得るのは常に一面のみであるが、其の事実を左様と受容れた為らば、表裏と云う概念は消え去り、人は強欲の器たる肉体から開放され得る。其れは自我が無へ転じるのであると同時に、全を受容する境地であろうと。其の様にお前は言った。当に其の通りなのであろうと私も思ったのだ。お前は人の器で以て超越せしめたらしい。未来がお前を変えた。既にお前の目は変わった」其の様に言う。私は此の男はもう意識朦朧とし幻覚を見ているに違いないと考えた。哀れに思い「其の様です。ですが気付いて居られますか。貴方の瞳も変わりました。もう苦しむ事は無いでしょう。我らの神々は貴方の魂を光の国へ導くと私は確信して居ります。アルビオンにて永遠の安らぎを得る貴方が見えるのです。安心してお眠りなさい。聖なる者が貴方を光の国へ導くでしょう」と、何とも無責任な事を言った。すると彼は「恍けるな。聖なる者とはお前に他ならぬ」と言って安らかに笑み、死んだ。
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