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Ⅵ
光と闇、善と悪、白と黒、天と地、そして男と女。相反し対極に位置するもの。しかし其れ等は表裏一体であり、何れかが欠けては何れもが存在し得ぬ概念である。確かに私は其の様に考え、アウリーの男に其の様に話した。他人は私を善と評する。光其のものとさえ言う。しかし私の心は重い罪悪を抱える。暗黒の池沼に沈んでいる。神聖なる光は私に寄添っては呉れず、私と云う闇の輪郭をより黒く染め上げ、私を苦しめる。私に寄添い安らがせて呉れるのは、如何なる時も闇であった。変わる事は無い。私の光等偽りである。闇に浸り溶込み己を責め苛む時間のみが癒しであった。苦しめと。己を憎悪し、世を憎悪せよと。己の中に存在する相反すものを数えきる術など無い。馴染みの男を好いてしまった己が憎い。親愛たる友である嬢から逃げ出した己が憎い。そして己の中に存在する女性性が憎い。常に己の中の女を痛め付けていた。しかし幾ら刺殺しても死なぬ。皮を剥ぎ、腹を捌いて臓物を引き摺り出し、無様な肉塊としてやって、空想上の人目に晒してやった処で、何事も無かった様に再生し亦私の中に居座る。幾ら憎んだとて到底憎み切れぬ其れは、何れ程責め苛んでも漫然と其処に存在し続けるのである。此れを何うして受容れろと云うのか。此の様なものは要らぬ。死ねと命じても死なぬ。伉ば出て行けと命じても出て行かぬ。私は此れを消除せしめたく思考した。しかし妙案は浮かばぬ。死なぬ、出て行かぬ、其ならば日々痛め付ける他あるまい。切り裂くと同時に掻き毟られる様な心地を味わうのは其れが己の一部であるが故か。受容など出来ぬ。泣き叫んでいるのは誰か。女であれと願えども、傷害を繰り返す毎に境界は曖昧となる。しかし耐え抜いた成らば、此の不快を催させて為らない女は消え去って呉れると信じる他無かった。絶望し慟哭し消え去るが良い。その様を私は王者として降し見送る。其の日が来る事を祈り日々過ごして来た。受容れて為るものか。受容したらば敗北である。自ら命を断つ他あるまい。私は男である。純然たる男である。斯様な醜悪たる争いを内で繰り広げている私の何処に他人は光を見ると云うのか。不可解極まり無かったのである。
愈々戦況の分は悪く、ウェリア島の住民はアウリー王国本土へ逃されたが、島に残る者は多からずとも存在した。一応の約定として、武装の無い一般人への攻撃は禁じると云う事には為っていたが、果たして何れ程その約定が守られて来たのかは知れぬ。何れにせよ、ウェリア騎士団が相手にするのはザルツ公領の原書派とヴィンツ侯領の傭兵、そしてフォルマ帝国の兵である。ザルツとヴィンツの兵ならばいざ知らず、フォルマ帝国にとっては此方が市民であろうが兵であろうが然程関係無かろう。
負傷者の手当道具の物資も乏しく、本土へ逃れた市民宅から布等を拝借して抱え修道院へと戻る道すがら、浜辺に斃れる者を発見した。遺体が流れ着く事は最早日常の事であったが、私は取りも敢えず荷物を置き、其の者へと近付いて往った。無論遠目からでも其の者がフォルマ兵である事は判っていた上、敵兵に迄手当を施してやれる程の余裕も無かった。されどもし未だ意識が残っているのであれば、最期の訴え程度は聞き届けてやろうかと思ったのである。さて、そのフォルマ兵は泣いていた。両腿より下を失い出血多量である。「君、訴えたい事があれば言いなさい。聞きましょう」と私は声を掛けた。フォルマの兵はリーン教を修する者の衣服を纏う私を見て「異教の」と呟き睨みを利かせたが、憐れな事に彼の最期の訴えを聞き届けられる者は私しか居らぬのであった。フォルマの男は啜り泣きながら「老いた母と妻と幼い子が居るのだ。帰ってやらねば。見知らぬ地で死にたく等無い、故郷に帰らせて呉れ、アーリャ、何故此の様な我等にとって無益な争いに、私を送り込んだのですか」と言う。アーリャとは、彼等フォルマの民にとって唯一無二として存在する神を表す言葉だ。我等アルディス帝国に属する者達が「神々」と複数形で呼ぶ様な事をフォルマの民はしない。フォルマ人の言う処の「神」とは「宇宙其のもの」か何か、或いは運命、宿命、等と云った、漠然たる定義に基づく概念を、意思在るものとして崇拝する対象とした存在、とでも表したならば理解出来得るであろうかと、其のシャヒール教にさして詳しくは無いながら無関心でもない私は考えていた。私は彼の涙に濡れた目元に手を翳し、陽光を遮った。「故郷を思いなさい」と私は言った。「貴方の故郷は何処ですか」と訊ねれば、「アシュタールの大砂丘を三つ超えた其の先の、地下水が湧き出る泉を囲んだ処」と説明して呉れた。是迄と同様、瀕死た人間の喘鳴に埋もれる言葉を聴き取り理解しようと試みることは、容易でなかった。況して、この男はフォルマ人であるが故に訛も強く、波音もまた彼の声を私の耳に届けることを妨害しようとする。しかし、この期に言葉を残そうと努める者の主張を決して聞き逃しはすまいと、私は息を詰めながら傾聴した。彼の言う其の様子を想い描きながら「貴方が故郷を思った其の時、貴方は既に其処に居ます。貴方の家へ帰ろうではありませんか。砂漠の最中に湧き出る神聖なる水の輝きを思い浮かべ、故郷の風を感じ、匂いを思い出しなさい。其の脚で家族の待つ家へと続く道を進むのです」と言えば、「俺の脚はもう無い」と言うから、強引にも「在ります」と言って続けた。「歩くのです。鮮明に思い出しなさい。人々が貴方の帰還を喜んで、貴方の家族へ知らせに往きました。もう直ぐ近くに貴方の家が在る。家族が貴方を出迎えようと家から出て来た」私は此の男に同情したのやも知れぬ。せめて此の男の意識だけでも望む場所へ帰してやりたいと思ったが故の、悪足掻きじみた行動であった。我ながら、何故此程迄に強く出られたのか、後から思い返せば甚だ疑問である。しかしながら、死際の人間に幸福な幻覚を見せてやることが私の責務であると、無意識の領域で感じてでも居たのか、更に言うなれば、そのような真似が私には出来るのだと、馬鹿馬鹿しくも確信して居たのか。やがて其の男は「嗚於」と声を上げた。「居るのか、俺は帰って来たのか。母よ、妻よ、息子よ、帰った。さあ、もう何も不安な事は無い。嗚呼何と言う事だ、父も生きていた。為らばもう安心だ、亦皆で穏やかに暮らして往こうではないか。さて紹介せねばなるまい。私を此処へ導いて呉れた男だ。異教の者だが彼の救けが無ければ辿り着く事は叶わなかった」そう言った男は私の手を目元より退けると、笑みを湛えた瞳で以て私を見て「感謝する」と言い、死んだ。何も感謝される謂れ等無かろう。故郷の家族と共に幸福を享受し其の儘逝けば良かったものを、最期に態々私等へ感謝を述べる為に現へ戻るとは。余程義理堅き男であったらしい。今宵は満月であるから、此の浜も海水で満たされる。大方肉体は海の藻屑と成り果てるであろうが、間良くばフォルマの何処かへと流れ着けば幸いと思い、せめてもの手向けとして男の衣服を整えた。後は自然に任せるのみである。私は荷物を取って、フォルマ男の遺体を浜に置いた儘、味方の怪我人が呻き苦しむ修道院へと帰った。
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