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Ⅶ
ウェリア島への攻撃が著しく為ってより六ヶ月が経過し、愈々船は破壊し尽くされ、戦場は陸へと移った。この時点で味方は六百足らずであり、対して敵方は五千と云う圧倒的不利な状況にあった。最早敗北は必然である。しかしウェリア騎士たる者逃げ出す事は許されぬ。元より私は此の地を己の死に場所と定めて参った故、逃亡する気等は端より存在しなかったが、事情とは其々に存在するものである。要塞で以て二週間耐えたが、増援も望めぬ状況に在っては先ずアウリー兵の士気が下がった。隣国の内戦に巻き込まれた形の彼等である。其の意気の消沈を誰が責められよう。寧ろ良くぞ此処迄持ち堪えて呉れたものと、感謝と称賛を贈らねばなるまい。そうして到頭城塞も破壊され、ウェリア騎士団最期の戦いが始まったのである。帝国紀元一六二三年、真勇の月、第四の月の日であった。士気の下がったアウリー兵に、雪崩込んで来る敵を迎え撃つ気力は無かった。彼等は諦めの儘に斃されるか、未だ希望を捨て切れぬ者は逃亡を図ろうともしていたが、結局は其れも叶わず尽く滅せられた。最後の砦と為った修道院にウェリア騎士は立て籠もり、壁上より火矢や沸滾った松脂を落とす等の抵抗を続けたが、其れ等の道具も殆ど残されていなかった。
愈々団長は潔く散る事を決意した。我らは力の限りに戦ったと、団員全ての名を呼び激励した。既に命を落としている者達へも同様であった。左様にして死を決意した三百のウェリア騎士が、鬨叫び剣を振るって修道院を飛び出した。何れの騎士にとっても各々想い在っての決戦、当に死戦である。其れにしても敵兵の多い事と云えば、散らされども尽きる事等知り得ぬが如き有様であった。傷を負い、次々と斃れる同胞達を僅か目に見送りながら、私は只戦うだけであった。抑々私の敵は彼等ではないのである。彼等への恨み等何一つ存在しない。只私は己自身が憎く、敵と云えば己であり、そして神であった。私は己を甚振り神に反抗する為に彼等と戦っていた。やがて私は腹を切られた。仕留めたと判し気を緩めたと見受けられる相手の首を、私は刎ね上げた。瞬時に噴水の如く舞う赫の見事さ。死に際して美しき花を咲かせた其の者を天晴と讃えながら、逝く様を見送った。舞い散る赫の花弁より意識を引き戻せば、何事であろう、敵味方の視線が私へと集っていた。静まった辺りの様子を伺えば、味方だの敵だのは関係の無い様子で、皆怪奇を目撃した哀れな幼児であろうかと云った顔つきで私を見詰めているのである。自身を省みれば、成程、此の期に於いて私は笑っていたのかと気付いた。そうして漸く腹部の燃え盛るが如き熱さにも気付いたのである。
裂かれた口から腸が零れ出ていた。余程深く切り込まれていたらしく、先の対峙相手が気を緩めたのも道理であろう。滑る管を左の手で以て支え、私は剣の柄を握る右の手に渾身の力を籠めた。目が覚めた心地であった。憐れらしく死んで為るものか。男としての尊厳を護らねばならぬ。目の前の敵を屠らずに斃れる程憫然たる事は無し。愛しき者等を裏切り逃亡の果に此処に居る己がせめて酬いれるとする為らば、此の指の間を滑り抜け大地へ落ちる臓物を引き摺ってでも己に課された役目を全うする以外には無い。一二三と敵を見回した。全て私が屠るのだと決意を固め、両脚に力を籠め剣を振るった。立ち回る際に己の腸を踏み潰したやも知れぬが最早詮無き事であった。敵味方共が私に恐怖しているのが身に沁みる程に、私の心は歓喜に震えた。怖れを向けられれば私は勇む。最早私の自我は消え去ったも同然であり、嘲笑を上げ敵とする者等の肉を切り裂くばかりであった。だが、其の嘲りは果たして誰に向けられたものであったろうか。己の臓物を鮮血と共に撒き散らせば無数の恐怖が私を囲む。私は只管に高揚するばかり。どうぞ恐れるが好い。私は己の死が間際に在って、到頭私にも此の時が来たと歓喜しているのだ。死が私にとって最強の力の根源である処へ、私へ向けられる恐怖の念。此れ以上に私を強くするもの等存在せぬ。一二三と屠り五六七八と屠った。
者共私を聖人の如き等と善くも曰い賜うたものである。邪悪を人身へ収めて成る姿を之と思い知れ。神よ私を見るが良い。貴様を恨み生きた人間の最期の姿を。貴様が真実に聖なる存在為らば此の邪悪さえも浄化して見せろ。只一つの魂の救済さえ成し得ぬ貴様の無力を思い知れ。私は神への憎悪を糧として敵を殺し屍の山を創り上げた。其の上に立つ私の腹中は空であった。私の体の感覚も既に消え去っていたが、風に煽られる儘に斃れた事は解った。
愈々死の手が延べられるのを感じた。目蓋を降ろしているのかも判らぬ。しかし視界は闇であった。其の暗闇に浮かんだのは、馴染みの男と嬢の姿であった。幼少からの出来事が、此の時全て思い出された。精神が深々と鎮まり、当に死の間際に在って私は冷静さと愛しさ、そして物哀しい情を取り戻した。
女に生れていた為らば、何にも咎められる事無く彼と愛し合えたのであろうか。彼女との友愛の情を其の儘で交わし続ける事が出来たのであろうか。しかし、私が女で在ったなら、幼少にして彼と離ねば為らなかった。彼女と出会い交友を深める事も無かった。農民として土を耕し、絵や詩楽、文学に触れる事も無かったのだ。為らば此れで良かったのだろうか。だが私は苦しくて為らない。苦しさを数えれば際限の無い人生であった。私の中に存在する相反すものとは何であったろう。他に対するは善意であり、己に対するは悪意であった。核は男でありながら其れを取り囲む性質は女であった。其の女の部分を男の器で以て隠し、核に強く在れと強制し女の要素を認めず、排除するべく闘ってきた。しかし排除など出来ぬのだ。何故なら其れも私と云う人間を構成する大きな要素なのだから。論理では解っていた。しかし感情が受容れられぬ。私は此の半々に存在する男性性と女性性を混ぜ合わせ、両性と成る事が出来れば良かったのであろう。だが、リーン人に生れた以上私は男らしく在らねば為ら無かった。とは云え其れで無かったとしても、極端な性質の私にとってはやはり困難な試練であったろう事は想像に易い。何れにせよ私の生はもう終わりであるのだから、来世に託すしかあるまい。この魂は亦同じ様な事で躓くのであろう。しかし時代や国が異なればせめてもの希望は在ると信じる。亦の生が与えられる事を疑わぬ私は、あれ程迄に神を否定しながらも、神を信じていた様である。
私よ。私の魂よ。光と闇を受容れ賜え。其れ等は同時に私である。闇在ってこその光であり、光在ってこその闇であると知れ。私は論理で以て其れを理解してはいたが、終に心情より納得し受容れる事は叶わなかった。どうか次の生に在っては受容せられる様。私の最期の祈りである。
此の真実の祈りは、私の魂に捧げる。
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