化けの皮ごと

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 ――時は数日前まで遡る。  鬼塚探偵事務所にある人物が訪ねて来ていた。  その人物は薄墨色の地味な着物を来て、白いパナマ帽子を被っていた。残暑が残る季節だというのに黒い襟巻きをしている。  しかし、そんな服装などよりも、よほど彼を異様たらしめていたのは、顔から指先まで一寸も肌の露出を許さぬように巻かれた包帯だった。  控えめなノックの後に現れた恐ろしげな男に、なつめは面食らってしまったが、デスクでカラメルプリンをつついていた知成は、愉しげに頬を緩ませただけだった。   「ようこそ、鬼塚探偵事務所へ!」    歓待するような声で出迎えた知成を珍しく思いながら、包帯男をいつも通りソファーまで案内する。やはりどこか身体の具合が悪いのだろう、足を引きずるようにして歩いた。   「お、お願いが、あって、参りました」  辿々しいしゃがれた声が、包帯越しに聞こえる。耳の奥でざらつくようで、甘い余韻の残る、不思議な声だ。 「数日後、私の……義理の妹になる人が、ここへ、くるでしょう。……そして、貴方に、わたくしの、しょ、正体を、暴いて欲しいと、依頼する」  包帯男は深々と頭を下げた。 「あ、貴方が、何を知っても……知らなかったこと、に、してくれないだろうか」 「それは……」  なつめは考え込んだ。  依頼人がくる前に調査対象から接触されるのは初めてのことだった。虚偽の申告をしろというのは当然断るべき案件であるのだが、依頼人がまだ来ていない場合はどのように対応すべきなのだろうか。 「それは、貴女が女の子だって事と関係あるのかな?」 「えっ」  愉快そうに微笑んだ知成が放った台詞に、なつめはつい声をあげた。 「何を驚いているんだい、なつめちゃん。君も似たようなものじゃないか」 「それは……そう、だけども」  長い時間を男として生活していたせいで男装癖がついた助手は、まじまじと目の前の包帯男を見た。  大柄というほどではないが、女性にしては背が高い。その上、顔も声も火傷で潰れてしまっているので、彼女を女性と断ずる根拠は残っていないような気がした。――知成の能力を除いては。 「やはり、貴方には、わ、わかってしまうの、ですね」  包帯の上からは判りづらいが、なつめには笑みを浮かべているように見えた。 「当然だとも! 私は一見しただけで、過去も現在も看破する。そういう生き物なのさ、生まれつきね」  エヘン、と知成が胸を張る。  夢物語のような言い分だが、知成の言葉に嘘偽りはない。彼は生まれつき、物の過去や人の心を読み取る能力があった。超心理学の分野では、過去視やテレパシーと呼ばれる力を、知成は遺憾なく発揮し、推理をまったくしない名探偵として帝都に君臨しているのだ。――当然ながら、論理よりも先に結論が出る突拍子もない謎解きの真相を知る人物は少ない。多くの人は、知成の観察眼がただただ優れているのだと思い込んでいる。もっとも、この包帯を纏った女性は異なるようだが。   「わたくしは、よ、吉野川、夏実さんという、商家のお嬢さんの、婚約者……の妹です」    包帯男改め包帯女は、竹森梅子と名乗った。今は竹森梅太郎と兄の名前を騙っているとも。 「女の身で、ありながら、兄の、妻になる人に、許されざる、想いを、抱きました。女の身でありながら、じょ、女性に懸想して、いたのです。な、夏実さんも、兄も、わ、私の、胸に秘めた想いは、知らなかった、でしょう。普通の、友人として、わ、わたくし達は、お、お付き合い、しておりました……」  梅子は首を振る。  わずかに残った髪が、ぱさぱさと揺れた。 「さ、三年ほど、前のことです。わたくしは、兄と、か、か、か火事に、巻き込まれ……兄は、片腕を残して死に、わ、わたくしは、ひどい火傷を、負って、意識も、身元も、不明のまま、病院に、収容、されて、いました。……目が、覚めて、兄の、し、死に様を、思い出した時、あ、悪魔が、わたくしに、囁いたのです……」  がさついた唇がふるふると戦慄く。 「今、兄として帰れば、夏実さんと、結婚、できるかもしれない、と」 「結果として君の目論見は成功したわけだ」  知成がしたり顔で大きく頷く。 「梅子としてではなく、梅太郎として周囲と接するのは中々に忍耐のいることだったろう。お兄さんは婚約者にも家族にもどこか冷淡なところがあるようだから。対して君はとても世話焼きだ。愛している人たちに冷たく接するのは、さぞ心が傷んだろうね」 「本当に、み、み、見てきたように、おっしゃるのですね」 「視ていたのさ、たった今。ここでね」  にっこりと弧を描く唇から白い歯がちらりと覗く。  梅子は「やはり、先に、お願いに来て、正解でした」とぎこちなく笑みを浮かべたようだった。実際はもぞりと包帯が動いただけだったが、知成はそれが彼女の笑顔だと思った。 「おいおい、お礼を言うのは早いんじゃないかい? まだ君の頼みをきくとは言ってないよ」 「ちょっと知成さん」  大仰に首を振って見せる探偵が、おおよそ乗り気であることは、なつめにはわかっていた。あえて意地悪なことを言うのは、彼のどうしようもない悪癖だ。 「い、今のわたくしに、お渡しできるものは、お、お金くらいしか、ありませんが…………いえ、あ、貴方が、春子ちゃんの、話を聴いて、真実を明かした方が、い、良いと言うならば、それも、せんなきこと、なのでしょう」  ゆっくりと梅子は頭を下げた。   「わたくしも、このままで、良いとは、お、思っていません。いつかは、きっと、ばれてしまう。……しかし、彼女に、真実を告げるのは、わ、わ、わたくしでありたいのです」
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