化けの皮ごと

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 知成たちが吉野川邸を訪れたのは、春子が訪れた日からさらに1週間後の事だった。    青々とした紅葉が涼しげな庭を眺めながら、知成となつめは客間で湯呑みを傾けていた。相対する春子の顔は晴れやかだ。 「来てくださってありがとうございます。鬼塚探偵」 「依頼を受けたのだから当然さ」  にっこりと綺麗な笑みを浮かべる知成に、春子は頬を染めて喜んでいるが、彼女の横に座る人々の顔は懐疑的で厳しいものだ。 「まったく春子ときたら、勝手に探偵なんぞを雇いよって……」 「ま、まあまあ貴方。春子さんも夏実さんのことを心配しての事ですよ。叱らないでやってください」  うめくように苦言を漏らすのは吉野川家の当主だ。春子や夏実の父親である。四角い顔にちょんと丸眼鏡がのった、いかにも頑固ジジイといった風体だ。  そんな夫を宥めるのは、柳眉の色の白い女だ。実年齢よりも若く見えるが、若々しさや覇気はない。気弱そうな雰囲気をしていた。 「ウチは気にしてませんよ。倅の風体を見れば、インチキでも探偵の一人や二人雇いたくなるってモンです」  がはは、と豪快に笑ったのは竹森家の当主だ。座布団からはみ出しそうなくらいに大きな体を、ぴっしりとした和装に包んでいる。服装に似合わず、豪快な性格をしているようであった。  その隣には目付きの厳しい彼の妻が、むっつりと黙したままこちらの様子を伺っている。まるでカラスみたいに隙のない目をしていた。  そんなハナから知成を信用していないという態度を見せる身内に、春子は顔を赤くして肩をすぼめた。 「す、すみません……鬼塚探偵……」 「なに、いつもの事さ。気にしていないよ」  肩をすくめる。探偵という職業は胡散臭いと嫌煙されがちだ。特に、知成の触れ込みは、初対面の人間には受け入れられづらい。 「秋雄さんも、今朝は盛大に転ばれたようだけど、どうか気にしないで。足元の飛蝗に驚いて思わず生娘のような悲鳴をあげたのが恥ずかしかったからといって、そんなに苛ついていて奥さんに当たるのは可愛そうだよ。せっかく見てみぬ振りをしてくれているのに」 「は」 「鈴江さんも、自分はやっていないのなら、はっきり言わなくちゃ。玄関の花瓶を割ったのは飼い猫のミケだって」 「えっ」 「幸次郎さんが昨日胃もたれを起こした原因は、浅草にある洋食屋のオムレツとカツレツとパンケーキだよ。夕食前に食べるには量が多かったね」 「ああ?」 「あと、七重さんが昨日から探している髪止めは化粧台の裏にあるよ」 「はあ」  涼やかな顔を一寸も崩さぬままに喋り続けた知成は、目の前の男女の困惑など知らぬとばかりにピタリと口を閉ざした。  初老の夫婦たちは困惑のあまり顔を見合わせる。 「ちょっと失礼します」  そこで竹森家の妻――七重が静かに席を立った。隣室に向かっただろう彼女は数分もたたないうちに帰ってくる。 「ありました。化粧台の裏に」  その手には、高価そうな珊瑚の髪止めがあった。  どっとその場にいた人間の殆んどが、嫌な汗が背筋に流れるのを感じていた。  名乗っていない筈の名前を呼ばれた事もそうだが、この男は誰にも言っていない事すら言い当てて見せた。  何故、見ていない筈の出来事を知っているのだろう。一瞬、春子が事前に教えていたのかとも思ったが、春子は使用人が彼らを部屋に通すまで顔を合わせてすらいない。彼が語ったもののなかには、春子が知り得ないものもある。 「凄いわ! さすが帝都の名探偵!」 「はっはっはっ! この程度のこと、一見しただけでわかるとも。何せ私は名探偵だからね」  いや、そんな訳ないだろう。  高笑いをする探偵を、初老の夫婦たちは気味悪く思った。 「失礼します」  恐々とした空気を入れ換えるような声が響き、すらりと襖が開けられた。  現れたのは全身に包帯を巻いた竹森梅太郎、そして彼に付き添う吉野川夏実だった。  夏実は母親によく似た柳眉の美女で、ふっくらとした薔薇色の唇の横に小さなほくろがあるのが印象的だった。伏せられた瞼は白く、足の悪い婚約者の助けとなれるように寄り添う様は、献身と慈愛に満ちている。 「お、遅くなっ、て、しまい、も、もも申し訳ありません」  用意された席に据わった梅太郎は小さく頭を下げる。吉野川夫妻は「とんでもない」と両手を振って気遣う素振りを見せた。 「た、竹森、う、梅太郎だ」 「吉野川夏実です」  夏実はちらりと探偵とその助手に視線を向けた。何か言いたげな視線ではあったが、ゆっくりと目を伏せて静かに梅太郎の傍に控える。 「それで、わ、私は、どのように、見える、だろうか」  口火を切ったのは当事者である梅太郎であった。  包帯に隠された唇がたどたどしく言葉を紡ぐ。 「こ、ここに、いる、誰もが、1度は、考えるだろう、ことだ。この、お、男は、ほ、本当に、竹森、う、梅太郎、なのか。ど、どこぞの、他人が、な、なり替わって、いるのでは、ないか、と」 「そんな事は……」  吉野川家の夫人が困ったように眉を下げた。隣で腕を組むその夫は、厳しい顔のまま低く唸る。  吉野川夫妻は正直、この縁談に乗り気ではないのだった。  火事に遭った不運な青年とはいえ、あのような無残な姿の男のもとに嫁がせるのは、家同士の約束とはいえ娘が不憫だった。体も不自由で、子どもも望めないという。もし、この奇妙な探偵が彼を偽物と断じれば、それを理由に破談にできるかもしれない。  そんな夫妻の思惑が伝わったのだろう。竹森家の当主は面白くなさそうに鼻を鳴らした。  竹森夫妻だって、あんまりに様変わりしてしまった彼が、本当に息子の梅太郎であるのか確証はない。けれど、彼の語る思い出話にも、振舞いにも齟齬はない。それならば、子ども2人を喪ったというよりは、梅太郎だけでも生きていたという事実に縋りたかった。約束通りに嫁ぎに来てくれる夏実には、申し訳ない気持ちもあるが。 「――うん」  知成は顎に人差し指を添えて頷いた。  目の前の初老の夫婦が、春子が、息を呑む。 「彼は梅太郎さん本人だよ」  薔薇色の唇が告げた答えに、その場にいた全員が安心したように息を吐いた。 「本当ですか?」 「もちろん、嘘なんて吐かないさ。ひどい事故に巻き込まれると、人が変わることもあるというし。彼はどちらかというと穏やかになったんだろう? なら心配することはない。これからも火災の記憶には苦しめられることになるだろうから、気を付けてあげたらいい」 「は、はい」  にっこりと綺麗に笑った探偵に、春子はぽっと頬を染めた。ごす、と探偵の脇腹を助手が小突く。 「……いいんですか」 「それは、当事者が決めることさ」  真実を明らかにしない探偵の笑みは崩れなかった。
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