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「本当にありがとうございました」
送迎のために呼んだ人力車の前で、春子は深々と頭を下げた。
「これで、安心して姉を送り出せます」
「春子ちゃん」
晴れやかな顔で礼を言う少女の肩を、夏実はそっと撫でた。そして「先にお家に入ってなさい」と下がらせる。春子は素直に頷いて、何度も振り返って手を振りながら、家に戻っていった。
「妹が無茶なお願いをしましたね。お付き合いいただいてありがとうございます」
深々と頭を下げる夏実に、なつめは「いえ、仕事ですので」と慌てて手を振った。
――それに、知成は真実を告げていない。
真摯で義理堅い女性を前に、なつめはふつふつと罪悪感のようなものが湧いてきた。梅太郎……梅子が結婚前に真実を告げると言う保証もない。このまま、何も知らないまま、婚約者の妹と結婚するような事になったら、この女性はとても傷つくのではないだろうか。
やはり、話しておくべきなのでは。
そう思案する助手をよそに、探偵は芝居がかった仕草で「無茶でもなんでもないさ。私は、それができるからね」と肩をすくめた。
「……そうですか、なら、猶更、お礼を言わなければ」
知成の返答に、女は更に奇妙な言葉を返した。
「本当にいいんだね?」
それに対する探偵の問いも奇妙なものだった。
助手が困惑しながら見守るなかで、女は迷いのない声で「はい」と頷く。
「私は、あの人をずっと昔から愛しているのです。それは、今でも変わりありません」
その顔は心の底から幸せそうな微笑みを浮かべていた。
「化けの皮ごと、愛しております」
ああ、なるほど。
その表情を見た瞬間、なつめは彼女の真意を理解した。
彼女は最初からわかっていたのだ。わかっていて、受け入れた。
許さない相手に懸想していたのは、彼女も同じだったのだ。
「……お幸せに」
なつめはそう絞り出すように告げると、探偵に背を押されながら人力車に乗り込んだ。
秘密の上に成り立つ彼女たちの関係が、これからどうなるのか。
それは、探偵にもわからない事だった。
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