第一章

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「今日は、嵯峨野家の当主忠臣さまより釣書をお預かりした次第。どうかそちらのお嬢さんとのご縁組みよろしくお願いいたす」  この日、母は持病で臥せっており、弟は休日だが学校へ行っていてこの場には父と宙子のみだった。ふたりは、あっけにとられる。  嵯峨野家といえば、元は九州の大大名。新しい世では、華族となり侯爵を授かった名家である。そして、嵯峨野家にまつわるある言い伝えも宙子は知っていた。  嵯峨野家の化け猫騒動は、歌舞伎の演目になるほど有名な話だった。化け猫が奥方を食い殺して、その奥方になりすまし夜な夜な行燈の油をなめている。それを家臣が退治するという筋書きだった。  父がすっと宙子に写真を渡す。写真の中で少し斜めを向き薄くほほ笑みをたたえる顔は、間違いなく先日のあの青年だった。  つまり宙子が借金取りと勘違いした青年は、侯爵家の若き当主嵯峨野忠臣だったというわけだ。  わたしなんかと結婚したいって、意味がわからない。この人になんの得があるというのだろう。  宙子は写真を握りしめ、この夢のような話を飲み込めずにいた。  半信半疑な様子で釣書を読んでいた父が、おずおずと口を開く。
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