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この振袖は娘時代の母のお気に入りだった。母は今日、宙子にこの着物を着せる時、質屋に何度も入れようかと思ったが思いとどまってよかったと、感極まっていた。
忠臣からの突然の求婚を、母は怪しむどころかもろ手をあげて喜んだ。たとえ華族でなくとも青山家ならば、侯爵家と家格は釣り合う。母の頭の中はいまだに旧幕時代でとまっているのだ。
しばらく走り、馬車はようやくとまった。
唐破風の豪壮な玄関前で下ろされると、屋敷の中に入るのではなく庭に案内された。玉砂利を踏み、庭にまわると大きな八重桜が今を盛りに咲いている。
その下に洋装姿の忠臣が立っていた。ただ立っているだけなのに、一幅の絵のような景色である。忠臣は宙子に気がつくと、歩み寄ってきた。
「ようこそ、宙子さん」
低くやさしい声音で名前を呼ばれ、宙子はぎゅっと目をつぶり頭を下げた。
「お招きいただきありがとう存じます」
「ときに宙子さんは、歩くことはお好きですか?」
「はっ?」
宙子の素っ頓狂な声が、玉砂利の上に落ちる。おずおずと顔を上げると、脈略のない台詞を言った張本人は、にこにこと宙子の顔を見返していた。
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