第一章

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「あの、それは困ります。人の目がありますし」  まだ夫婦でもない男女が外を歩くなんて、武家として厳格に育てられた宙子には受け入れられない行為だ。忠臣も同じはずなのだが。 「ああ、お気になさらず。近くに東京大学、今は帝国大学と言うのですが、そこの学生がこのあたりに多い。文人も多く住み着く街です。進歩的な考えのものが多いから、安心してください」  そんなことを言われても、ちっとも宙子は安心などできなかった。ますます理解に苦しむ宙子をみすかしたのか、忠臣は言葉を付け足す。 「それに、私たちはもうすぐ夫婦になるのですから」 『わたしはまだ、了承したつもりはありません』  喉元までせり上がってきた台詞を宙子はグッと飲み込み、忠臣の強引さを甘い砂糖でくるんだような要求に従うしかなかった。  お供をつれず、本当にふたりきりでの散歩となった。高台にある屋敷を出て、忠臣は迷うことなく坂を下って行く。坂の下には東京の街がひろがり、宮城の新緑が目に鮮やかだ。  しぶしぶ出かけた散歩であったが、宙子は意外にも気持ちが上向いていくのを感じていた。
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