第一章

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 風はまだ冷たいが、日差しはポカポカと温かい。数歩前を行く忠臣は、天頂からたっぷりと陽光を浴びている。そののんびり歩く姿から、宙子の中でさきほどの強引さは帳消しになっていた。  それだけではなく、時おり宙子の歩みを確認して速度をゆるめてくれるほどよい距離感。振り返るたび、うれしげに微笑まれるのもなんだか面はゆく感じる。  わたし、こんなふうに街を歩いたことはないかも。  家の外へ出る時は、用事がある時に限られる。遅くなると母が心配するので、いつもあわただしく帰宅していた。  忠臣が宙子を散歩に連れ出した思惑はわからないが、あれこれ考えるより今はこの状況を楽しもう。  この人は意味の分からないことを言う怪しい人ではなく、むしろ優しい人なのかも。  忠臣は神田明神を通り過ぎ、昌平坂を下っていく。この先にあるのは、孔子像を祀っている湯島聖堂だ。  忠臣は坂を下り切ると、湯島聖堂の門をくぐった。宙子も後に続く。  門をくぐり石畳を歩いていると、宙子はふとなつかしさを覚えた。ここにほんの小さな頃、母に手を引かれ訪れたことを思い出した。
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