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第一章
結婚式から遡り、初夏のできごとである。
その日は披露宴で着るドレスの仕立てのため、宙子とその母は永田町にある嵯峨野家の屋敷を訪れていた。
十畳ほどの座敷には、西洋から輸入された華やかな布がところ狭しと広げられている。その中を印半纏を着た白木屋の奉公人が次々と宙子に布をあてがい、母が一枚づつ吟味していく。
宙子は年ごろの娘らしく色とりどりの珍しい舶来の布に心を躍らせることもなく、ただ黙って鏡の前に突っ立っていた。
思うことは、早く終わればいい。ただそれだけだった。
「洋装を誂えるには、横浜まで昔は出向かなければならなかったのに、今は東京にも洋装店ができたのですねえ」
すこし布選びに飽きたのか、母は奉公人に気安く声をかけた。目下のものに、母から声をかけるなど珍しいことだと宙子は驚く。
よほど、機嫌がいいのだろう。
「はい、白木屋は最近洋服部を立ち上げまして、婦人服の取り扱いも始めたところでございます。おかげさまで、鹿鳴館にいかれるご婦人方にご利用いただいております」
「まあ、鹿鳴館。そのうちこの子も出向くことになるのでしょうねえ」
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