Mちゃん

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Mちゃん

 知らない女の子と手を繋いで、私は次の教室を覗き込む。  ここにも、子供連れの女性はいないから、違うんだ。  じゃあ、もう一個向こうかな。  「ごめんね、お姉ちゃんは車で寝てるから。中、あんまりわかんないの。どこにどんな人が集められているのかも、わかんないんだ。歩くの、疲れちゃった?」  「…ねむい、の。お腹がすいた」  「そっか。どうしよう。どこで寝たらいいんだろう。ううん、早くお母さん、見つけないと。他へ避難しちゃったら、会えなくなっちゃう。あ、歯磨き粉食べる?お姉ちゃんは、これ食べてるよ」  飴玉の一つでも持っていたら良かったのだろうけれど、なんせ緊急避難して来た私は、持病の薬を数日分と、化粧ポーチを引っ掴んでなんとかここまで逃げて来たのだ。  何から?何で私たちは故郷から逃げたの?去りたくはなかった。  だけど、追い立てられるようにここまでやって来た。  引き返せるはずもない。  だって後ろは既に渋滞状態で、ガソリンだっていつまた入れられるか。  違う、今はこの子に食べ物、だってお腹がすいてるって。  私は化粧ポーチの中の内ポケットから歯磨き粉を取り出すと、女の子と廊下の端に寄って、指先を出すように自分がやって見せる。  ほっぺたを真っ赤にした女の子はきょとんとして、それから唇を尖らせて私を真似た。  差し出された左手の人差し指の先っぽに、一回分の歯磨き粉を絞って出すと、彼女は不思議そうな顔をしてそれを舐める。  「…甘くなあーい」  「そう言えば名前、何ちゃん?みんな疲れているだろうし、大きな声は出せないけど、お母さんの方も探してるかも。…確か、一階に、ここの人たちの名簿みたいなのを作ったのがあるの。そこに、あなたのお名前と居場所を書いておこう。今日は、お姉ちゃんの車に来る?」  「いやだよ。朝ごはんも歯磨き粉なんでしょ?」  「…多分。もう一度、はぐれちゃった場所、行ってみる?」  「いや!!眠い!!」  うう、子供の扱い方が良くわからない。  だけどこの子は、流すことの出来ない、汚物にまみれたトイレで、スカートとスパッツを汚してしゃがみ込んで泣いていたんだ。  お母さんが、いない、しか喋れなかったのが、今は私にお夜食の文句まで言えるのだから元気になって良かったじゃないか。  「よし、わかった。子供をおんぶしたことないんだけど、ちょっとやってみる。おんぶされてくれないかな?」  「いや!!」  「そうか。じゃあ抱っこね。…子供って、思ってたより重いね」  「いーやあー!!」  この廃校に避難して来ている人たちの中には、子供が煩い、眠れない、と怒鳴り散らして怒り狂う気力のある者はいないようだ。  それが果たしてありがたいことなのか、苦しいことなのか、睡眠不足が続いていた私の頭は麻痺していて判断がつかない。  とにかく一階の、名簿のとこまで、走る、この子を落っことさないように気をつけながら。  今出来るのはそれだけだ。  ちっぽけ過ぎて、なんだか毎日死にたいのに、子供がやかましいのはいいね。  動く力が、出たのはさ。  あなたのお陰だったんだよ。  ありがとう、Mちゃん。  お母さんと会えて良かった。  どうか、健康で、明るさを失くさないで、大きく育っていますように。
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