不幸と、言え

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不幸と、言え

 沖縄の保養に息子と参加した際に、たまたま他の参加者であるお母さんにどこから避難をしているか聞かれた。  私は、ここでならば、本当のことを話しても良いのではないか、と思えていた。  確かに、私は参加者の多くの母親が抱える不安、とは別の種類の想いを抱いてここへやって来た。  だけど、もしかしたら、私のように故郷を追われて、住む場所が定まらず、失ってしまったものの大きさに喘ぎながらも生きている、そんな誰かに出会えるのではないか、と願ってしまったのだ。  正直に、双葉郡の、原発事故のあった場所から3キロ圏内から避難をしていることを、話してしまった。  そのお母さんは、私では役に立てない、ごめんなさい、と言ってその時は私から離れて行った。  賠償金を受け取る方法を、原発の周辺の町に住んでいなかった人たちに教えていたのだと言う。  放射能の恐怖に怯えながら子育てをすることになった母親たちは、それを理由に裁判などを起こしていた。  私は、裁判など起こす理由もなく、住む場所と仕事を失ったことで、既に賠償金が出ることは決まっている土地の人間だったので、彼女にとっては気まずい時間を与えることになってしまった。  そして、その、私の故郷がどこであるか聞いていた人物がいた。  彼はジャーナリストで、私に取材を申し込んで来た。  詳しい話は省くけれど、とにかく不幸な話しを主に書きたがっているようだった。  そして、そんな中でも、産婦人科で出産を断られ、堕胎する為の病院への紹介状をわたされた話、それをとても気に入っていたのだろう。  いつまでも私は、原稿を頼まれるたびに、この話しを書かされ続けたのだから。  被災者は、不幸でなければいけないのだろうか。  テレビの出演が決まった時も、夏場だからワンピースで行っただけなのに、着替えをお願いされた。  化粧も控えめに、ヒールの高い靴ははかない。  私たちは、いつまでもボロを着て、批難していた頃のように寒さに震え、悲しい顔をしていなければならないのだと、そう言われているような気がした。  息子がいて、生まれて来てくれて、私はこんなにも幸福なのに?
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