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記憶の階段1
チェルノブイリ原発事故があった時に、その周辺で生活をしていた家族たちは、緊急避難になったところもあれば、何日も知らせが行かず、数日そこで暮らし続けてしまったと言う人もいたそうだ。
ベラルーシには、大きな保養施設があり、今でも放射能の値の高い土地から子供たちがやって来て、夏休み中そこに宿泊して、健康管理をし、名一杯遊んで、身体的にも精神的にも回復することを目的としている、そんな施設のようだった。
私が、このベラルーシの保養施設で出会ったのが、「彼女」だ。
甲状腺の手術を受けた為だろう、喉にミミズバレのような痕があり、声も少し枯れていたけれど、どうしてだろう、私と同じ目をしていると感じたのは。
その、チェルノブイリ原発事故の起こった1986年4月26日、当時は幼い子供であった彼女たちは、今、大切な命である我が子と共に生きていた。
その中の一人である「彼女」と、「私」は、対談をする場を設けられていて、はじめは、私の質問に応答してもらうところからはじまった。
私は、原発事故で被災し、故郷を想いいつまでも嘆いているかもしれない、そんな母親で。
彼女は、まさにそんな両親を見ながら、新しい土地での生活をはじめた、幼い子供だった。
両親が、ここは本物の故郷ではない、といつも帰りたがっていたと、目を伏せる。
そんな彼女に、私は問いかける。
「哀しみは、癒えることはありましたか?」と。
彼女は言う。
新しい家の庭に好きな木を植えたり、居心地の良い家にして行こうと努力をしていた。
娘たちが大きくなり、子供を産み、そう言った新しい思い出が増えて行くことでも、気持ちは穏やかになったのではないかと思う、と。
ああ、一緒だ、私と、私の両親や祖父母と。
祖母は、沢山の花を庭に植えて、祖父は、習字の習い子たちに新しい手本と手紙を送り続けていた。
私に子供が出来た時、祖父母はまだ仮設住宅に住んでいた。
雪も降っていたことだろうに、こちらまでやって来て、新生児の息子を抱いて、嬉しそうに笑ってくれた。
私たちの命を、繋げていくことが出来て、そのことがまた、誰かの傷を優しく撫で一瞬でも隠すならば。
そう願ったことを、思い出す。
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「希望を殺す医者」
↬ https://estar.jp/novels/26042289
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