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明るい月が暗い夜を照らし出す。家の中が真っ暗な、そんな月夜の良いところはやはりその温かみのある明るさだろう。家族が寝静まった深夜に、素朴な庭があるだけの縁側に座り、裸足の足をぷらんとさせていると、そいつはやって来る。
やって来るのは決まって天気の良い、今日のような月夜である。そいつは私が缶の炭酸ジュースをぷしゅりと開けて一口飲んだ時には既に音もなく隣に立っている。最初は家族の誰かが起きてきたのかと思ったのだが、しかしその姿が月の明るさに照らされると、その姿は自分自身であることが良くわかった。
それは驚いたさ。なにせ、自分が立っているのだから。しかし、見間違うことはない。なぜなら、それは自分自身、自分そのものだから。姿形も嫌というほど見てきたその容姿である。
普通に考えれば、幻か、幻影か、寝ぼけて見間違えたかということになるのだが、しかしそいつは喋りだしたのだ。私の鼓膜を震わせるとなれば、それは見間違いではないかもしれない。
「お前は過去の私より幸せか」
問いかけであった。このことから、ここに立っているのはいま炭酸を飲んでいる私よりも過去の私ということになる。幸せを問う過去からのシ者。そんなところだろうか。
「お前は過去の私より幸せか」
問いは繰り返された。どうやら、答えない限り消えてはくれないようだ。前回もそうだった。前々回の月夜もそうだった。過去の私は現れては、幸せを問い質してきた。
「お前が私の過去を名乗るのならば、私の過去のことは、もちろん知っているのだろう?」
「無論だ」
「では、教えてくれ。私の過去はどんなだった」
「背が小さく、泣き虫な子供だった。幸いにも友には恵まれて虐められることはなかった。中学の時も、何事もなく過ごし、高校のときに一生物の友達を得て、大学では軽音サークルで飲んで騒いで過ごし、単位が足りなくて半年だけ留年。そして就職。しかし、コロナの煽りを受けて二年少しで会社が倒産。転職。職が合わずに鬱病になって自殺未遂。泣くままに実家に逃げ帰って二年。今に至る」
「そうだな。そんな人生だった」
「今のお前は過去の私より幸せか」
「さあ、どうだろうな」
「前回もそんな答えであった。はっきりとはしないのか」
「じゃあ、答えるよ。どうせ相手は自分だしね」
「それを待っていた」
「二年前。死にたくなっときは、心が壊れてしまって駄目だった。立って、座っているだけで意味もなく涙が出てくるようになってしまった。手首をいくら切っても痛くないし、死を実感することすら出来なかった。睡眠は一切取れなくなって、眠れなくて、会社にいたら酷く心配された。転職先の人たちはいい人たちだったと思うよ。最後まで心配してくれた。新人でしか無い私に見舞金として、退職金みたいなものまで出してくれた。今でも眠剤ないと、睡眠薬がないと眠れないし、薬がないと動悸や息切れがしてしまう。そんな状態だけど、それでも今は少しはましになってきたのかな。これまでの人生、色々あったけど、不自由は何もなかったと思う。親に感謝だね。本当に、感謝しか無い。ありがとうございますって、深く土下座しても足りないよ。あとは友人にもだ。こんな私にも付き合ってくれる友人がいる。それだけでありがたいことだと、常々思う。本当に、ありがとう、ありがとう。また会う日まで、会える日まで。その時を楽しみにして生きている。幸せかどうかと言うと、きっと幸せではないと思う。でも、不幸でもない。ぬるま湯の日常に体育座りして小さくなって浸かっている。そんな感じ。何を持って幸せとするか、幸せと呼ぶのかは人によって違うだろうし、私の幸せもきっと私にしかわからないと思う。友がいて、家族がいて、風邪を引かないで健康で、薬を飲んででも眠れて、起きてご飯が食べられる。たぶん、平凡な答えだけど、凡庸な回答だけど、それだけで幸せなんだろうなと、そう思うよ。だから、だから」
「だから?」
「私は過去の私と変わらない。過去の私と同じく幸せ者だ。まあ、さすがに鬱病全盛期の時は不幸そのものなんだろうけどね。あれは幸せとは呼べない」
「そうか。なるほどな」
「なあ、お前は今夜が最後になるのか?」
「どうしてそんなことを聞く」
「なんか、ちゃんと答えちゃったから。もう出てこないのかなって」
「そんなことはない。私は私自身だ。過去を捨てなければ、捨てて失くしてしまうことがない限り、いつでもここにいるさ。月夜の深夜にでもまた現れるよ」
「そうか」
「ああ、そうだ」
この日の過去からのシ者はここまでだった。いつの間にか、忽然と消えていた。また、今度か。
次に月がきれいに見える夜はいつになるのだろうかなと、そう思って炭酸を飲んだ。
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