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2章 なりたいものになるために 第4話 懐かしい味
祐ちゃんは気合いを入れる守梨を、穏やかな表情で見守ってくれる。守梨は少し恥ずかしくなって、「へへ」とはにかんだ。
「ええ顔になって来たな。ほな、ちゃんと食べてもっと元気にならな。鶏焼いて、春人参でラペや。食べれるか?」
「お父さんのレシピやんね」
「そうや」
「それやったら大丈夫。松村さんのお料理も食べられたんやし」
まだ食欲が完全に戻ったとは言い難い。だから「マルチニール」でも、実は量はそう入らなかった。それでも美味しいと思い、守梨は満足したのだ。だからお父さんのレシピなら、絶対だ。それに祐ちゃんが作ってくれるのである。期待が膨らんでしまう。
「そやな。ほな待っとってな。おやっさん、よろしくお願いします」
祐ちゃんの挨拶に、お父さんはきっと穏やかに頷いているだろう。守梨は椅子に戻り、大人しく腰を降ろした。
祐ちゃんが料理をするとこを見るのは初めてだ。守梨はまた緊張してしまう。気ぃ付けて、手ぇ切らん様にな。ついつい心配になってしまう。
しかしそんなのは余計なお世話だった。祐ちゃんの包丁さばきは守梨のものよりずっと堪能だった。
今日のメニューで包丁を使う場面は多くない。鶏肉の筋を切ったり、人参のへたを落としたり、オレンジを半分に切ったり、ぐらいだ。それでも守梨よりずっと手慣れている様に見えた。
守梨の様な躊躇いが無いのだ。守梨は確かに包丁を使うことができる。だからどうにか自炊もできる。だがもたもたとしてしまう。千切りもみじん切りもできることはできる。けど遅いのだ。
とん、一呼吸、とん、一呼吸、とん。
そんな包丁運びなのである。
祐ちゃんにはまず、その一呼吸が無い。お父さんの様な熟練さは無いが、とんとんとリズミカルに包丁が動くのだ。
守梨はすっかりと感心してしまう。これならお父さんに追い付くのも時間の問題なのでは無いだろうか。それはさすがに楽観が過ぎるか? だがお父さんから直接手ほどきを受けているのだし。
祐ちゃんはフライパンを出す。お父さんが愛用していたステンレス製のものだ。それを壁際にある4口コンロのひとつに置いて火を付け、お塩とこしょうで下味を付けた鶏もも肉を置いた。じゅう、じゅうという音が厨房に小さく響く。
守梨の位置からは祐ちゃんの背中で隠されて手元などが見えないのだが、オイルを引いて、きっと皮目から焼いている。守梨とてそれぐらいの知識はあるのだ。
そして作業台に戻って来た祐ちゃんは、キッチンタイマーを掛ける。何分かはわからないが、鶏もも肉をひっくり返す時間が設定されているのだろう。
続けて祐ちゃんはボウルとスライサーを出し、春人参を洗って水分を拭き、スライスする。皮は剥いていない様だ。
「祐ちゃん、人参の皮、剥かんでええん?」
「ああ。おやっさんが言うには、人参には皮のすぐ下に栄養が多いんやて。せやから、店で出す分は剥くけど、家庭用やったら剥かん方がええんやて」
「へぇ」
初めて聞いた。と言うことは、これまでお父さんがお母さんや守梨のために作ってくれたお料理の人参は、皮が剥かれていなかったということだ。分からなかったので、あまり食感などに影響は無いのだろう。
人参も包丁で切れば、いくら祐ちゃんでも時間が掛かるだろうが、スライサーなのできっと時短である。
人参2本が下ろされるころ、タイマーが音を鳴らした。祐ちゃんはコンロに向かう。「はい」と頷いているので、お父さんからの指導があるのだろう。祐ちゃんは手にしたトングを動かしている。
また作業台に戻って来た祐ちゃんは、スナップえんどうを手早く洗う。そして筋取りである。へたをぽきっと折り、左右両方の筋を小気味好く取って行く。それをコンロに運び、フライパンに入れた。
また作業台で、今度はスライスされた春人参のボウルに調味料を入れては混ぜ、入れては混ぜ、をして行く。オレンジも半個分搾って入れた。
祐ちゃんの動きには無駄が無い様に見える。お父さんが先んじて指示を出しているのだろうか。祐ちゃんがお料理慣れしていることもあるのかも知れない。
お父さんは松村さんに対して、ここまで手厚く教えていただろうか。その時とは相手も状況も違うが、これがプロの料理人の、師匠と弟子の関わりなのだろうか。
昔のドラマなどで見た「見て覚えろ」と言う時代では無くなったと言う話も聞いたことがある。だが体質というものはそう簡単に変わるものでは無い。
だがお父さんは、松村さんにドミグラスソースを分けることができる柔軟性がある。お父さんは自分が弟子だった時の経験を照らし合わせ、自分が師匠になった時にどう接するのが成長にベストなのか、考えたのかも知れない。
時間があまり無いこともある。お父さんは少しでも祐ちゃんに自分の技を与えようとしているのだろう。
そうしてできあがったのは、鶏もも肉の粒マスタードソースと、春人参のラペである。鶏もも肉には色鮮やかなスナップえんどうも添えられている。
「どうぞ。巧くできてるとええんやけど」
祐ちゃんのわずかな緊張が伝わって来る様である。守梨は「いただきます」とフォークを手にした。
まずは春人参のラペから。ガラス製の器に盛られたそれを一口分すくい上げ、口に運ぶ。
生の人参はしゃきしゃきである。だが春人参だからこその瑞々しさ。オレンジが生み出す酸味と甘み。どの調味料が使われているのか守梨には分からないが、程よい塩味と爽やかさ、オイルのまろやかさが春人参を包み込んでいる。
かつて、守梨もお父さんが作ったキャロットラペを何度か食べた。これは作り置くものなので、賄いの時に口直しにと出してくれることがあったのだ。
その時のことを思い出す。ああ、この味や。守梨は表情が緩むのが止められない。懐かしいお父さんの味だった。
そして鶏もも肉。フォークを当ててナイフを入れると、皮がさくっと音を立て、身は弾力を感じながらもすいと入って行く。
一口大に切って、粒マスタードソースを絡めて口へ。歯を立てるとふっくらしっとりと焼きあがっている。ソースはぴりっとしつつも滑らかで、鶏もも肉の甘さを引き上げている。さっき祐ちゃんは白ワインを出していたので、これに使われているのだろう。コクも詰まっている。
「……祐ちゃん、めっちゃ美味しい。お父さんの味や」
感極まる守梨が震える声で言うと、祐ちゃんは「ふぅ」と脱力した様な息を吐いた。
「良かったわ、ほんまに良かった」
そう言って、嬉しそうに頬を和ませた。
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