3章 意図せぬ負の遺産  第2話 石に込められた悪意

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3章 意図せぬ負の遺産  第2話 石に込められた悪意

 朝から暑くて、起きづらい日々が続いている。まだ7月だというのに、エアコンが欠かせない気温になっていた。  どうにか起き出した守梨(まもり)は朝ごはんを食べて出勤の支度(したく)をし、家を出るまでのあと10分でお茶でも飲もうかと、グラスに水出しの麦茶を入れた。  インターフォンが鳴ったのは、そんな時だった。 「はい。どちらさまですか?」  春日(かすが)家のインターフォンにはカメラが付いていないので、名乗ってもらわないと誰か判らないのである。しかしこんな朝から何ごとだろうか。 「あ、守梨ちゃん、私、隣の山内(やまうち)です」  山内さんは「テリア」の右隣で、小料理屋を経営している夫婦である。来たのはその奥さんだった。  小料理屋とビストロ。競合しそうでジャンルが違うので、巧くご近所付き合いができていた。両親のお葬式にも、夫婦で参列してくれた。 「あ、おはようございます」 「おはよう。いや、そんなどころや無いねん。すぐに出て来て」  山内さんは慌てている様子である。それが守梨にも移ったか、「す、すぐに行きます」と早口で応えてインターフォンを切った。  階段を駆け降り、急いで玄関を開ける。すると山下さんがそわそわしながら立っていた。守梨は目を丸くする。 「どうかしはりました?」 「どうもこうもあらへん。早よ早よ!」  そう言って大きく手招きするので、守梨はサンダルをつっかけて外に出た。  山内さんに付いて行くと、ほんの数歩で着いたのは「テリア」の前。そして山内さんが指差したところを見て、守梨は目を見張った。 「何や、これ」  「テリア」のドアは木造りだが、上部に採光用のガラスがはめ込まれている。そのガラスが派手に割られていたのだ。  守梨は呆然としてしまう。一体何だ。強盗でも入ったか。でもそのガラスは位置的に、割っても内側の鍵には届かない。そもそも高さ的に腕を入れるのも一苦労だろう。それに窓枠にはガラスが残っていて、下手に手を入れたら怪我をしそうだ。 「ちょ、ちょっと鍵取って来ます」  守梨は走って玄関に戻る。靴箱の上に置いてあるキィケースを手にして戻ると、鍵穴に鍵を差し込もうとする。焦ってなかなか入ってくれなかったが、ようやく収まって解錠し、外開きのドアを開けた。  するとドアから少し離れた店内の床に割れたガラス、それとこぶし大ほどの石が落ちていた。守梨はそれらを見下ろし、呆気にとられてしまう。いたずら? それにしてはたちが悪すぎる。  何にしても悪意を感じる。もしかして気付かないうちに、何かトラブルにでも巻き込まれてしまったのだろうか。  山内さんもドアの隙間から覗き込んで「うわぁ、えらいこっちゃ」と非難する様な声を上げた。 「守梨ちゃん、これ、警察とかに連絡した方がええんとちゃう?」 「あ、そ、そうですね」  もう出勤時間だが、そんなこと言っていられない。守梨は石やガラスをそのままにドアを締め、心配してくれる山内さんにお礼を言って、110番すべく、玄関から家に戻った。  10数分後、私服姿の警察官がふたり来てくれて、守梨は「テリア」のフロアで事情聴取を受ける。心当たりは無いかと言われても、何も思い当たらない。青い制服を着た鑑識の人だと思われる人がふたり、ドア付近や石などを調べたり、写真を撮ったりしていた。  思い当たることと言えば、セミナーに通う様になって、交友関係は確かに広がっていた。だが一緒に受講する人たちは皆開業を目指す、いわゆる同士である。  開店すればライバルだのなんだのとあるかも知れないが、基本は縁が切れると思っている。守梨にとってはあくまで知り合いの範疇で、そう親しい人はいない。 「この辺りには監視カメラも無いし、石からも指紋とか出んかったんで、犯人特定は難しいかも知れませんねぇ」  警察官はそんなことを言って、眉をしかめる。と言うことは、これからもこんな危害が加えられるのかも知れないと、怯えて暮らさなければならないのだろうか。守梨の胸中に不安が押し寄せる。  だが、これは守梨にとっては大ごとなのだが、警察にとっては小事なのでは無いだろうか。どこまで捜査なりなんなりしてもらえるか。盗られたものがあるわけでも無し、後回しにされてしまいそうである。 「では、また何かありましたら、ご連絡ください」  警察官は軽くそう言い残し、鑑識の人たちと一緒に覆面パトカーで帰って行った。割れたガラスと石は証拠品なのか持ち帰って行ったが、正直これ以上当てになるとは思えなかった。  家に戻った守梨は、ぐったりと疲れてリビングのソファに身体を投げ出す。警察が来る前に会社に連絡したら、遅刻はもちろん場合によっては休んでも良いと言ってもらえた。なので時間を気にする必要は無いのだが、迷惑を掛けるのも申し訳が無い。昼から出ようとのろのろと起き上がる。  しかし、本当に一体何なのだろうか。お店には両親がいるはずだが……。そうだ、両親は何か見ていないだろうか。  守梨は慌てて下に降り、厨房からフロアにまろび出た。 「お父さん、お母さん、石投げ込んだ人とか見てへん!?」  しかし、返事が聞こえることは無い。ああ、そうか、守梨には見えないし聞こえないのだった。そんなことも忘れてしまうなんて、思った以上に動揺している様だ。  今日は出勤すると(かえ)って迷惑になるだろうか。しかし少しすれば落ち着きもするだろう。その前に割られた窓をどうにかしなくては。守梨はダンボールと養生テープを出すべく、控え室へと向かった。
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